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四天王が一人・馬場信春の伝説を見よ!武田家三代に仕えた名将が長篠に散るまで【前編】

四天王が一人・馬場信春の伝説を見よ!武田家三代に仕えた名将が長篠に散るまで【前編】

財宝は奪うな!全て火中へ

こうして築城にまで携わった信春。例えば信濃国の牧之島城、駿河国の田中城清水城、遠江国の諏訪原城小山城などは、彼によって建てられたと言われています。

永禄5(1562)年には牧之島城を築城して、自らが城代となり、海津城の春日虎綱と共に上杉謙信を監視する役目を担いました。

川中島の戦いでの戦功もあり、この時期には120騎を率いるまでになっています。

また、信春は曲がったことは大嫌いな真面目で一本気な性格だったようで、漢気を感じる有名なエピソードが伝わっています。

永禄11(1568)年、今川義元の死後に衰退する一方の今川家を見限った信玄は、同盟を一方的に破棄して駿河へと侵攻します。

駿府を占領した信玄は今川館に火を放たせますが、財宝が燃えるのを惜しんで、兵たちに財宝を全て運び出すよう命令しました。

しかし、このことを聞いた信春はその現場に駆けつけて、こう言い放ちます。

「戦の最中に敵の財宝を奪うなど恥ずかしいことだ。武田の者共は盗人だと後世の笑い者になるぞ」

そうして、せっかく運び出した財宝を次々に火中に投げ捨ててしまいました。

後にことの顛末を聞いた信玄は、信春を責めるどころか「そなたのおかげで後世の笑い者にならずに済んだ」と感謝したと言われています。

信春の、武将としてのさらなる活躍とその死については、後編でお話ししましょう。

後編はこちらから

 

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