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四天王が一人・馬場信春の伝説を見よ!武田家三代に仕えた名将が長篠に散るまで【前編】

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「一国の主になれる器量人」

しかし、信春は猪突猛進の荒武者ではなく、冷静で思慮深い智将という一面も持ち合わせていました。

同僚の小山田信有から戦場で戦功をあげるコツを訪ねられた際には、次の通り答えたそうです。

「敵陣に深入りしたら、冷静な部隊と連携して脱出を試みその殿(しんがり)を務めること。また、味方の旗指物が前に傾いている時はこちらに勢いがあるので戦いを控え、旗指物が後ろに反ったらここで懸命に戦う。そうすれば戦功をあげることは簡単だ」。

分かりやすくシンプルな極意には唸らせられます。

さて1541(天文10)年、主君の信虎が追放されて武田信玄が当主となります。彼は信春を「一国の主になれる器量人である」と高く評価していました。

そこで信玄は、信春の身分に箔をつけるために、断絶していた譜代家臣の馬場家を再興して馬場信春と名乗らせ、譜代家臣の一員とし50騎を束ねる侍大将に抜擢します。

天文19(1550)年に小笠原長時の本拠林城を攻略すると、信玄は林城の支城だった深志城(のちの松本城)を修築し、信春を城代としています。そして筑摩郡、安曇郡を支配させました。

また、山本勘助から城取りを学んで奥義を伝授された信春は、勘助の死後、占領地の築城を任されました。

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