実は子だくさん!汚れ役もいとわない愚直すぎる武将・梶原景時の息子たち・前編【鎌倉殿の13人】:2ページ目
頼朝の寵愛を受けたクールな長男・梶原景季
応保2年(1162年)生まれ、通称は源太(げんた)。治承4年(1180年)の頼朝挙兵時は大庭景親(演:國村隼)らと共に敵対したものの、後に父や兄弟らと降伏。
養和元年(1181年)4月7日に頼朝の寝所を警護する親衛隊メンバーに抜擢されていることから、よほど信頼と寵愛を受けていたことがわかります。
ちなみに梶原氏は坂東平氏の一族(鎌倉党)であるため、通称は平太(平氏に属する家の長男)が妥当ですが、おそらく頼朝に気に入られて「源」太と改称したのでしょう。
俗説には「景時が頼朝に取り入るために変えさせた」とも言われますが、後に源氏一族の兄弟たちを粛清している通り、頼朝の許可なしに御家人が源氏を称することは考えにくいです。
ともあれ頼朝の信頼に応えるべく景季は忠勤に励み、寿永3年(1184年)1月には源義経(演:菅田将暉)に従って上洛。宇治川で木曽義仲(演:青木崇高)と戦った折、佐々木四郎高綱(演:見寺剛)と先陣争いをしたエピソードが有名です(宇治川の先陣争い)。
宇治川では先陣こそ逃したものの、平家討伐でも大活躍の景季。その武功によって後白河法皇(演:西田敏行)より左衛門尉(さゑもんのじょう)の官職を授かりますが、頼朝に無断で任官したことを叱られてしまいます。
(書状には御家人24名についてこれでもかと罵倒していますが、景季についてはただ名前が連ねられているのみ。あんまりキツく言いたくなかったのかも知れません)
ちょっとそそっかしいところもあるものの、父譲りの才覚で文武両道を兼ね備えていた景季は、文治5年(1189年)の奥州征伐で頼朝に和歌を献上。一同を感心させました。
秋風に 草木の露を 払はせて 君が越ゆれば 関守もなし
【意訳】あなた(頼朝)がゆかれる喜びに秋風が草木の露を吹き払い、御裾を濡らすようなことはないでしょう(≒敵はあなたの威光を恐れ、大した抵抗もできないでしょう)。
その後も父子ともども頼朝の側近として活躍。将来を嘱望されていましたが……。