嘘も方便?朝鮮出兵の陣中、戦国大名・鍋島直茂に叱られた小山平五左衛門の答えがコチラ:2ページ目
「困ったな、どうしたものか……」
「最初に外したのはそなたであろう、早く行って参れ」
「何を申すか、そなたであろう」
さぁ始まりました責任のなすりつけ合い。日ごろの友情もどこへやら、そなたそなたの大合唱……すると平五左衛門が言いました。
「そうだ思い出した。ここにいる20名が目と目を見合わせ、『せーの』で一度に母衣を外したのであった。御屋形様にそうお伝えせよ」
「……承知した」
代表で一人が叱られるのはバツが悪い。最初だろうが後だろうが、母衣を外してくつろいだのは皆同じ。ならばみんなで叱られようじゃないか。
果たして、伝令から報告を受けた直茂は苦笑い。
「まったくしょうもないヤツだ。それを申したのは平五じゃな」
「左様にございまする」
「申し伝えよ。『此度は平五の嘘に免じて赦してやる。今後は気を引き締めてかかれ』とな」
「ははあ」
あえて騙されてやった直茂。母衣武者たちは平五左衛門の機転に感謝したことでしょう。
終わりに
四二 小山平五左衛門高麗にて母衣脱ぎ候事 高麗御陣の中、高き所より、直茂公、下を御覧なされ候へば、母衣武者共、皆母衣を脱ぎくつろげ居り申し候。公以ての外御立腹、「陣中にて物具を脱ぐ事不覚悟なり。何がし参つて、母衣を一番に脱ぎ始め候者を承りて参るべし。その締り申し附くべし。」と仰せられ候。御使参り、右の如く申し候へば、何れも驚き、「何と申し上ぐべきや。」と申し候時、小山平五左衛門申し候は、「廿人の母衣武者共、目と目をきつと見合はせ、一度に母衣をはらりと取り申し候。」と申す。御使帰りて申し上げ候へば、直茂公、「にくい者共かな。それは小山平五左衛門が申すべし。」と仰せられ候由。小山は龍造寺右馬太夫殿の子、武勇の人なり。
※『葉隠聞書』第七巻より
以上、小山平五左衛門のエピソードを紹介しました。今回の嘘は単に同僚と自分の身をかばうのみならず、直茂も守ることにつながったのです。
出来れば叱りたくないけれど、叱らねば軍紀が保てない。それを平五左衛門のしょうもない嘘にあえて騙されてやることで、叱らずに済んだのでした。
ときにこの平五左衛門、龍蔵寺右馬太夫(りゅうぞうじ うまだゆう)の子で武勇にすぐれていたと言い、機転に富んだ文武両道の名将だったと言います。
私欲のためにつく嘘はいけませんが、仲間と主君を守るための嘘は、時として有用であることを教えてくれますね(※線引きが難しいのと、濫用すると信用をなくすため、おすすめはしませんが)。
※参考文献:
- 古川哲史ら校訂『葉隠 中』岩波文庫、2011年6月