戦国時代に瀬戸内海で大活躍した日本の海賊王「村上水軍」について紹介
周辺を海に囲まれた島国の日本では、平安時代の頃から海賊がいたと言われています。
世界的に見ても日本の海賊の歴史は古いと言われており、とくに戦国時代の活躍は「異様」でした。
そこで今回は、戦国時代に活躍した海賊たちについて紹介したいと思います。
コチラの記事もあわせてどうぞ。日本の海賊「倭寇(わこう)」とは何者だったのか?その正体と対策の歴史をたどる
海賊王・村上水軍
村上水軍とは、瀬戸内海を中心に活動した戦国時代を代表する海賊のことです。
海賊は貨物を乗せた船を襲撃して物品を略奪するのが一般的ですが、村上水軍は貨物を乗せた商船を襲わないという約束と他の海賊から守るという名目で「帆別銭」を徴収していました。
村上水軍は瀬戸内海を牛耳っていたこともあり、現在でも多くの末裔が瀬戸内海周辺にいるのだとか。
関ジャニの村上信五さんや村上ショージさんなど、「村上の末裔」だと公言する芸能人もいます。
戦国時代の海賊
戦国時代において、海賊は海上戦の要として非常に重要な役割を担っていました。
たとえば海賊である九鬼嘉隆は、織田信長の水軍として活躍し、領土を授かったことで知られています。海賊の出世は極めて異例であったため、領土を受け取ったことで特別視された九鬼嘉隆は、「海賊大名」とも呼ばれたのです。
村上水軍の埋蔵金
織田信長が本能寺の変で亡くなったあと、豊臣秀吉が天下を取り、1588年に海賊禁止令を発表。
村上水軍は、海賊としての活動が困難になります。
一部の水軍メンバーは毛利家の家臣となり、江戸時代には長州藩の船手組となって三田尻を根拠地に生活したそうですが、豊臣秀吉と対立したメンバーもいました。
追い詰められた末、瀬戸内海の西側にある屋代島に逃げたといわれています。そのとき、小豆島に埋蔵金を埋めたのではないかという説があるのだとか。
ただ、屋代島と小豆島は約200kmも離れているため、そんな遠くに埋蔵金を隠すのはおかしいと指摘する声もあります。