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【鎌倉殿の13人】独りじゃないよ!流人時代から頼朝に仕え、気にかけた者たち【後編】

【鎌倉殿の13人】独りじゃないよ!流人時代から頼朝に仕え、気にかけた者たち【後編】:3ページ目

他にも友達けっこうたくさん!

ちなみに軍記文学『曽我物語』などでは、頼朝を慰めるためにみんなで集まって狩りだの相撲だのと言ったレクリエーションをちょくちょく開催。例えばこんな……。

……その頃、兵衛佐殿、伊東の館にましましけるに、相模の国の住人大庭の平太景信と言ふ者あり。一門寄り合ひ、酒盛りしけるが、申しけるは、「我らは、昔は、源氏の郎等なりしかども、今は、平家の御恩を以つて、妻子を育むと雖も、古の功、忘るべきにあらず。いざや、佐殿の、いつしか流人として、徒然にましますらん。一夜、宿直申して、慰め奉り、後日の奉公に申さん」「もつともしかるべし」とて、一門五十余人、出で立ちたり。人別筒一当てぞ持ちにける。これを聞き、三浦、鎌倉、土肥次郎、岡崎、本間、渋谷、糟屋、松田、土屋、曽我の人々、思ひ思ひに出で立ちにけり。

※『曽我物語』佐殿、伊東の館にまします事

【意訳】そのころ頼朝は伊東祐親(演:浅野和之)の館に住んでいました。
相模国の住人・大庭平太景信(おおばの へいだかげのぶ。大庭景義)は一族で酒盛りをしていた時に、こう提案します。
「我らはかつて源氏(源義朝)に仕えていたが、今は平家の世話になって妻子を養っている。しかし源氏への旧恩を忘れるべきではない。今、佐殿は流人の身でお寂しかろう。ここは一つみんなで宿直という名目で遊びに行って差し上げようではないか」
すると一同「それはいい考えだ」と賛成。さっそく一人一本の酒筒を持って一族50数名が伊東の地へ向かったのでした。
それを聞いて三浦義澄(演:佐藤B作)ら、大庭景親ら(演:國村隼。鎌倉一族)、土肥次郎実平(演:阿南健治)、岡崎義実(演:たかお鷹)、本間某(不詳。海老名党か)、渋谷重国ら、糟屋盛久(かすや もりひさ)ら、松田(松田郷を領する波多野義常か)、土屋宗遠(つちや むねとお。実平の弟)ら、曽我祐信(そが すけのぶ)らも駆けつけます。

「「「すーけーどーの!あーそびーましょ!」」」

こんなに大人数で押しかけられて、きっと頼朝は嬉しい悲鳴、主人の祐親は「すわ、敵襲か」と驚いたことでしょう。

『曽我物語』には祐親が(みんなで狩りに行こうと言い出した)頼朝たちの接待に追われるシーン(奥野の狩りの事)もありますが、そっちも又の機会に紹介できればと思います。

終わりに

以上、頼朝を流人時代から支えて来た仲間たち、気にかけてくれた坂東武士たちを紹介して来ました。これだけいてもまだ不足でしょうか。

確かに彼らは肉親ではありませんが、それは別に頼朝だけではありません(例えば藤原邦通については親兄弟はもちろん、きちんと家庭を持ったかさえも不明です)。

現代に比べてはるかに人の死や別離が身近だった当時、家族がずっと一緒である方がよほど珍しいものでした。

どうせ人間、生まれる時も死ぬ時も一人です。たとえ肉親の情は薄くとも、仲間と苦楽を共にした絆こそ、かけがえのない財産ではないでしょうか。

※参考文献:

  • 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人と本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
  • 市古貞次ら校注『曽我物語』岩波書店、1966年1月
 

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