首だけは戦場に残すまい!新選組「井上源三郎」の11歳の甥・泰助の気合っぷりが凄い
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数年前のことですが、新選組の足跡をたどり多摩へ赴いたことがありました。その一つ「井上源三郎資料館」を訪れた際、子孫やガイドのかたから興味深いお話をうかがいました。※口頭で伝え聞いたエピソードなので、参考資料はありません。
源さんは強かった説
誰より努力家で仲間思い…新選組の六番隊長・井上源三郎の「裏の顔」
井上源三郎といえば、近藤勇の兄弟子として有名ですが、無口で無骨、近藤勇の拳骨や土方の俳句などのようにあまり人柄をしのばせるエピソードは聞きませんね。
源三郎は八王子千人同心の家柄に生まれ、小さい頃から剣術を修練し、勇より先に万延元年(1860年)5月に天然理心流免許を受け取っています。
新選組以降の活躍としては池田屋事件で8名を捕縛。鳥羽伏見の戦いでは彼が率いた6番隊の隊士のほとんどが逃げ出さず、最後まで戦ったそうです。
ガイドさんは、源さんが強くなかったとしたら、それほどまでに隊が結束しているだろうか?と。確かに…と思いました。
沖田総司も源三郎の稽古好きにはかなわないと語っていたそう。どっしりと芯が強く、間違いなく人徳もあったのでしょう。
11歳とは思えない胆力の甥・泰助
源さんの甥っ子・井上泰助は源さんの江戸出張の帰りに、どうしても俺も行きたいということで、一緒に上洛してしまったそうです。その年、慶応三年(1867)年十月。上洛後は近藤勇の小姓を勤め、最後まで隊士とは認められませんでしたが、翌年の慶応四年一月の鳥羽・伏見の戦いに参戦。
そして源さんが討ち死にするのを目の当たりにします。
そしてそこからが凄い!