首だけは戦場に残すまい!新選組「井上源三郎」の11歳の甥・泰助の気合っぷりが凄い:2ページ目
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若干数えで11歳の彼、戦場の混乱のさなか「叔父の首だけは戦場に残すまい」と首を切るのを手伝って欲しいと周りに呼びかけたそうです。
そしてなんとか首をもって逃げ帰る途中、そのあまりの重たさに、やむなく実家の近くにあるお寺と同じ名前の「ごんじょうじ」の門前に埋めてきたそうです。置かれている状況や時代が違うとはいえ、戦地で自分の身の危険も顧みず叔父の首を切り落とし、さらに持ち帰ろうという気合っぷりがとても信じられるものではありません。
しかしその話を伝え聞いたのちの子孫たちは、泰助が「家の近くの寺と間違えてる」と思ってしまい、話半分で信じなかったそうです。跡取り息子の嫁の「おけい」さんは泰助の話を大事に伝え語ったそうですが、それも取り合ってはもらえなかった。
現在のご当主は「そのとき京都の伏見近くの寺を探さなかったのが悔やまれる」と話されていました…。
結局、戦争終結後、伏見近くは掘り起こすと死体がごろごろ出てきたので、まとめて埋葬してしまったそうで、現在も源さんの遺体は行方不明のままとのこと。
その京都の「ごんじょうじ」は『欣浄寺』と推測されていますが、実は鳥羽伏見の後すぐに廃寺になっていたとのこと。だから余計に泰助の話は信ぴょう性がなくなってしまったのですね。彼がどこに埋めたか忘れぬようにと機転を利かせたため、逆に皮肉な結果になってしまいました。
源さんの墓は日野の「宝泉寺」にあります。亡骸が無くても思いはきっとこの地に留まっていることでしょう。
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