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蘇我氏4代の墓を探る!初代・蘇我稲目(そがのいなめ)の墓は都塚古墳か?【前編】

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都塚古墳ってどんな古墳?

 

有名な石舞台古墳から約400m。南から伸びるゆるい尾根上、畑の中にポツンと築造されている方墳です。地元では、元旦の朝、金の鶏が鳴くという言い伝えから、「金鳥塚」とも呼ばれていました。

横穴式石室の発掘調査でわかったこと

 

1967(昭和42)年に、明日香村と関西大学により石室内の発掘調査が行われました。埋葬施設は、横穴式石室でその全長は12.2mとされます。遺体を納める玄室は、長さ5.3m、幅2.8m、高さ3.55m、羨道部は長さ6.9mで、石室の床面に暗きょ排水溝が設けられていました。

玄室には、長さ2.36m、幅1.58m、高さ0.64mの家形石棺が安置されています。石棺を覆う蓋石には大きな縄掛突起があり、発掘調査以前から開口していました。石棺の周辺からは、鉄釘片や棺台とみられる石などが発見されており、木棺も安置されていたとの推測もあります。

この家形石棺の形態や出土した土器・須恵器などから、都塚古墳の築造時期は、6世紀後半ないしは6世末とみなされています。

墳丘の発掘調査で大きな発見がなされた

 

石室の調査に続いて、2014年と2015年、同じく明日香村と関西大学により、墳丘に対しての発掘調査が行われました。

そして、この調査で大変興味深い発見がなされました。それは、都塚古墳がまるでピラミッドのように葺石を貼り付けた8段と想定される階段状の墳丘形をなしていたことがわかったのです。

そして、墳丘の形は方墳で、その規模は東西41m、南北42mという大型のものであったことが確かめられました。

【前編】はここまで。【後編】では、いよいよ都塚古墳の被葬者について考えていきましょう。

 

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