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エピソード多すぎ!源頼朝公の愛刀・髭切(ひげきり)が斬った数々のモノたち

エピソード多すぎ!源頼朝公の愛刀・髭切(ひげきり)が斬った数々のモノたち:3ページ目

友の小烏丸を斬り捨てた?

ところで、この獅子ノ子には吠丸(ほえまる。元は膝丸)というペアの刀があり、吠丸を娘婿に与えてしまったのを悔やんだ為義は、吠丸にそっくりな小烏丸(こがらすまる)という刀を作らせました。

(史料によっては獅子ノ子に似せて作られたともありますが、それだと吠丸を惜しんだことと矛盾します)

ある時、獅子ノ子と小烏丸を二振り並べて立てかけておいたところ、風もないのに突然二振りが倒れました。

不思議に思いながらも為義が立てかけ直すと、獅子ノ子よりも二分(約6mm)長く作られていたはずの小烏丸が、獅子ノ子と同じ長さになっています。

「これはきっと、獅子ノ子が小烏丸を切ったに違いない」

物理的にはあり得ませんが、ともあれ不思議なことが起きたものだと、獅子ノ子は友=小烏丸を斬った友切(ともきり)と改名されたのでした。

八幡大菩薩から苦情?結局、元の髭切に

友切は源氏重代の家宝として為義から嫡男の源義朝(よしとも)へ受け継がれたものの、平治の乱で平清盛(たいらの きよもり)に連戦連敗。

「かつて八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の御加護を得て作られた、源氏代々の宝刀を持っていながら、何というザマだろう。もはや武運も尽きたのか!」

義朝がぼやいていると、八幡大菩薩が啓示を与えます。

「……何を申すか。古来『名は体を表す』と言うであろう。そなたらがコロコロ名前を変えるから、そのたびに神通力が弱まっておるのだ。ことに『友切』など縁起が悪すぎる。早く元の名『髭切』に戻せば、次第に神通力も回復するであろう」

そこで義朝は急いで?刀の名を元の髭切に戻し、嫡男の頼朝公に与えたところ、その神通力は次第に回復。

20年の歳月を経て、ついに頼朝公は挙兵して平氏政権を討ち滅ぼし、源氏の棟梁たる征夷大将軍として鎌倉に幕府を開いたのでした。

エピローグ

髭切から鬼切、そして獅子ノ子、友切、そして再び髭切に……以来、二度と名前が変えられることはなく、代々の鎌倉将軍家から幕府の滅亡時に新田義貞(にった よしさだ)の手に渡り、さらに新田氏を滅ぼした足利尊氏(あしかが たかうじ)の一門・斯波(しば。後の最上)氏に奪われました。

その後、戦国乱世を経て天下人となった刀剣コレクター・豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の求めにも応じることなく髭切を守り続け、武士の世も遠く過ぎ去った大正時代になって、京都の北野天満宮へ奉納、現代に至ります。

何度も名前と持ち主を変えながら、現代に伝えられる名刀・髭切。実に色々なモノを斬って来ましたが、これからもその美を鑑賞する宝物として、次世代へ受け継がれて欲しいものです。

※参考文献:
小和田泰経『刀剣目録』新紀元社、2015年6月
関幸彦『英雄伝説の日本史』講談社学術文庫、2019年12月
三浦竜『日本史をつくった刀剣50』河出書房新社、2020年1月

 

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