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サイコキネシスを操る僧たち。弘法大師だけじゃない!法力でもって物を飛ばすスゴい坊さんたち

サイコキネシスを持つ僧たち。弘法大師だけじゃない!法力でもって物を飛ばすスゴイ坊さんたちをご紹介

このような飛鉢譚は種々の文献にあります。鎌倉時代の仏教史書『元享釈書』は釈慈信という僧が鉢を飛ばしたために空鉢上人と呼ばれるようになったと伝えており、鎌倉初期に成立した説話集『古事談』でも浄蔵が鉢を飛ばしています。『続本朝往生伝』には、宋にいるとき「日本の僧の鉢は遅い!」となじられた寂照が、中国僧と法力を競って鉢を飛ばす話があり、枚挙にいとまがありません。

鉢…ではなく水瓶を飛ばす僧

最後に、鉢ではなく水瓶を飛ばす話をひとつご紹介しましょう。『宇治拾遺物語』にこんな話があります。

京都の清滝川のそばに住むある僧は、法力で水瓶を飛ばして川の水を汲んでいました。こんなことができる行者は他にいまい、と彼はひとり悦に入っていました。ところが、ある日、川上から別の水瓶が空中を浮かんでやってきたのです!

誰が操っているのだろうと水瓶を追いかけて川上へ行くと、たいそう立派な庵があり、中には七、八十歳ほどの僧が五鈷杵(密教法具)を握って眠っています。

川下の僧が老僧を試みようとして不動明王の陀羅尼を唱えて加持を行うと、たちまち庵に火がつき燃え始めました。しかし老僧はぴくりともせず、眠ったまま散杖(さんじょう/真言宗の儀式に用いる棒状の法具)で香水を汲んで辺りにまいたので、すぐに火は消えました。ところが、川下の僧は自分の衣に火が燃え移っていることに気づいて仰天し大騒ぎ。目を覚ました老僧が散杖で彼の頭から水をかけてやり、ようやく鎮火しました。

老僧に一体どうしてこんなことになったのか尋ねられた川下の僧は、正直に自分の試みを話して許しを乞い、老僧の弟子となりましたとさ。

 

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