サイコキネシスを持つ僧たち。弘法大師だけじゃない!法力でもって物を飛ばすスゴイ坊さんたちをご紹介
かの弘法大師空海は唐から帰国する際、明州(現在の寧波/ニンポー)の港から日本に向かって八祖相伝の三鈷杵(密教法具)を飛ばし、それが落ちた地すなわち高野山に金剛峰寺を創建したといいます。
古い文献をひもといてみると、このように法力でもって物を飛ばす僧が数多くいたことがわかります。
鉢を飛ばした僧の中でも最も知られた「命蓮(みょうれん)」
国宝、『信貴山(しぎさん)縁起絵巻』の上巻「飛倉の巻」(「山崎長者の巻」)に登場する命蓮(みょうれん)は、鉢を飛ばした僧の中でも最も知られた人物でしょう。
絵巻物と言えば詞(ことば)と絵が交互に書かれるのが普通ですが、この上巻には詞がありません。絵だけで構成されていて、物語の内容は『宇治拾遺物語』や『古本説話集』の「信濃国聖事」から知ることができます。
それによると、東大寺で受戒した命蓮( 『今昔物語』では明練)は信貴山にこもって修行し、厨子に収まるほどの小さな毘沙門天を得ます。それを祀るために彼が建てた堂が、信貴山朝護孫子寺(ちょうごそんしじ/奈良県生駒郡)のおこりです。
やがてこの山のふもとに身分の低い金持ちが住みつき、命蓮は毎日そこへ鉢を飛ばして托鉢していました。
ある日その長者が倉の中にいると、いつものように鉢が飛んで来ました。しかし食べ物をよこせとばかり連日やってくる鉢をいまいましく思った長者は、鉢に何も入れず倉の隅に放置したまま、倉から出て戸を閉めてしまったのです。
すると倉がゆらゆら揺れ始め、なんと信貴山目指して飛んでいったではありませんか!長者があわてて倉を追いかけ、命蓮に倉を返してほしいと懇願すると、命蓮は中身なら返してやろうと、倉の中の米俵をひとつ鉢に乗せ、それを再び長者の家へ飛ばしました。すると残りの米俵も、雁が群れ飛ぶようにそれに続いて飛んで行ったとか・・・。
朝護孫子寺は現在も、命蓮の托鉢と伝えられる、高さ五寸あまり、口径約二尺八寸の金銅鉢を所蔵しているそうです。