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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第19話
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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第18話
◾︎文化八年、二月(1)
十四年も昔に遡る。
二月も中旬を過ぎ、寒空に小さな灯りを点すように紅梅の花が咲き出すと、凍(しば)れるほどの江戸の空気が一気に温み溶け出した。
この日、高弟の国貞を伴って木挽町に出掛けていた浮世絵師の歌川豊国は、昼下がりに日本橋上槙町の工房に帰宅した。
曽我物の助六の演目を新たな形で上演した芝居「助六所縁江戸櫻(すけろくゆかりのえどざくら)」の取材のため、版元の平野屋長右衛門と木挽町の市村座に出掛けていたのである。
豊国が二十四畳もある大画室の障子を開くと、弟子たちが群がった。
「お帰りなせえ、父っつぁん!」
「どうでした、團十郎の助六!」
「イヤア、良かったぜ。七代目大当り役だな」
豊国は自慢のあごに手を当てて團十郎を評した。
「父っつぁん、助六やって」
弟子にせがまれると豊国は勢いよく裾まくりをし、ダンと右足を踏んで見得を切った。
「煙管の雨が降るようだア〜」
「かっこいい!」
画室はやんややんやの喝采になった。
上演後には團十郎、幸四郎ら花形役者から桟敷で手厚い接待を受けたらしく、手土産もふんだんにあった。
「いいなあ、父っつぁんったら團十郎の押隈(おしくま)もらってら!」
弟子の一人が土産の菓子の山の中にあった手ぬぐいを広げると、確かに助六の隈取りの形が押してある。
「平野屋だけでなく錦耕堂やら丁吉つぁんもいたからねえ、團十郎も大盤振る舞いよ」
錦耕堂は日本橋元浜町の版元だ。丁吉というのは同じく日本橋の版元で、丁子屋亀吉を縮めて丁吉である。
浮世絵は、芝居の評判を左右する。
今回の「助六所縁江戸櫻」も、浮世絵の力で大いに評判を盛り上げて宣伝してほしいという意味での接待であった。
「さあて、團十郎じきじきの頼みとあつちゃア、すぐに下絵描いて持ってかねえとな」
豊国は嬉々として奥の机に掛け、早速準備に取り掛かった。
その背後の床の間に掛けられた掛け軸には「歌川にあらずば絵師にあらず」の文字が強烈な風圧を伴って門下生を睨め付けている。
人に好まれ世間に受けのいい浮世絵を追求した歌川豊国の一門は、今や浮世絵界で最も強い引力を持っている。弟子は四十数名に拡大し、錦絵といえば歌川という呼び声もすでに定着していた。そのため、このような傲岸不遜な掛け軸がいかにも真実味を帯びてそこに鎮座している。
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