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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第19話

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障子が再び、からりと開いた。

見事な撫で肩の痩身白皙の男が入ってくると、騒がしかった画室が水を打ったように静まった。

男は神社の狐のように切れ上がった目で、弟子たちを見下ろした。

「お、お帰りなせえ、国貞の兄さん」

弟子たちは豊国にすり寄っていった時とは打って変わって、何か怖々とした態度で兄弟子に挨拶した。

「戻りました」

生白い国貞の表情は、能面のようにぴくりとも動かない。

四十数人の弟子の中で、出世頭はこの国貞である。彼は本所五つ目橋の渡船場を持つ裕福な家庭の生まれで、学資も才能も申し分なかった。筆を取らせれば江戸ッコ好みの粋を巧みに画面に描き出し、美人画では師の豊国を上回ると評された。実際には、本当にそんな絵を描くのかと不思議になるほどに謹厳実直な男で、後輩たちの指導は殊に厳しかった。そのため同じ門下でも容易に話しかける者がいない。

国貞は足元にいた最近入門した十六歳の末弟、芳三郎の手元を覗き込み、冷めた声を出した。

「芳、何を描いている」

少年の手元の素描帳には、国貞には何かよく分からない気味の悪い亀のようなものが描かれていた。

「何って、河童でさア。北斎漫画の。人の尻子玉を抜くっつう・・・・・・」

「北斎だ?駄目だこんな偏頗な絵は。歌川の正統を学べ。奇を衒おうとするな。歌川の浮世絵は大勢の人に受け入れられなくては意味がない。歌川派の絵を描け」

国貞は厳しい声でそう語った。

「そしてこの墨・・・・・・」

国貞は人差し指の先をおもむろに芳三郎の硯に差し込んで墨を掬い取り、一目みて首を横に振った。

「墨に軽忽さが出ているから絵も荒くなる。心を落ち着けて一定によわよわと柔らかく磨れ。硯を洗って墨の磨り方からやり直せ」

「ええっ」

芳三郎は素っ頓狂な声を上げた。

それもそのはずだった。今日は墨を磨るのにいつもより随分丁寧に時間をかけたのである。

「それともなにか。そんな荒い墨で奇妙な絵を描いて歌川豊国の名を汚す気か、お前」

「こんべらばアが・・・・・・!」

芳三郎は思わず国貞の胸ぐらに掴みかかり、拳を振り上げた。

じろり、と国貞がこちらを見た。

生白い顔の筋肉一つ動かさない。彫師が小刀で削り出したような、切れ上がった目だけがこちらを睥睨した。

その風圧に圧されて、芳三郎は国貞の女形のようにつるりとした頬を殴りつける事が出来なかった。

解放された国貞は薄いくちびるに冷笑を浮かべ、

「さすが、貧乏紺屋の育ちの悪りいガキだな」

と呟いた。

「国貞、やめとけ」

豊国が見かねて止めに入った。

「本当の事を言っただけです」

国貞がすっと芳三郎から離れ何事も無かったように奥の自分の机に掛けると、豊国は芳三郎に団十郎から貰ってきた押隈の手ぬぐいを強引に芳三郎の手に押し付け、真っ青な少年の顔を覗き込んだ。

「芳、この手ぬぐいをやろう。な。だから国貞の事ア、許してやっつくんねえか」

「こんな・・・・・・」

芳三郎は手に掴まされた團十郎の押隈を見て、わなわなと震えた。

「こんな事で、許せるか!おいらア騙されねえぞ・・・・・・!」

少年は硯を掴んで画室を飛び出した。

 

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