「親の七光り」なんて言わせない!和泉式部の娘・小式部内侍が見せつけた当意即妙の歌才:2ページ目
幼くして歌才を顕すも……心ない中傷
さて、世に「栴檀(せんだん。香木の一種)は双葉より芳(かんば)し」と言いますが、母親の歌才を受け継いだ小式部内侍は、幼少の頃より利発で、大人顔負けの歌を次々に詠んだと言われます。
さて、そうなると宮中には才能を嫉妬する手合いもあったもので、中には「小式部内侍は、母親に代作してもらっているに違いない」「そもそも母親が有名な女流歌人だから、親の七光りで周囲の評価も甘くなっているのだ」など、中傷されることもあったようです。
まぁ、陰で言っている分には知らぬふりをしてやればいいのですが、よせばいいのに真っ向から小式部内侍をからかった者がおりました。
それが四条中納言(しじょうの ちゅうなごん)こと藤原定頼(ふじわらの さだより)でした。
とっさの怒りに詠まれた「あの歌」
定頼は後世「百人一首」にも収録されるほどの歌人であり、自らの才能に驕りがあったのかも知れません。
ある日、両親が丹後国(現:京都府の日本海地域)へ赴任してしまい、小式部内侍だけが京都に残っていた時のこと。
歌合(うたあわせ。歌の大会)に出場が決まった小式部内侍に、定頼がやってきてこんな意地悪を言いました。
「あ~っれぇ~?小式部ちゃ~ん?ママに『お歌作って下さ~い』ってお願いした手紙のお返事、ま~だ来ないのかなぁ~?(とっても意訳)」
定頼のニヤニヤ笑いが目に浮かぶようですが、馬鹿にして立ち去ろうとするその裾を掴んで、小式部内侍は言いました。
「おおえやま いくののみちの とおければ まだふみもみず あまのはしだて!」
怒りに詠んだ即興歌は、まさに当意即妙の一言でした。
3ページ目 四条中納言も逃げ出した!名歌に込められた技巧とは