「親の七光り」なんて言わせない!和泉式部の娘・小式部内侍が見せつけた当意即妙の歌才:3ページ目
四条中納言も逃げ出した!名歌に込められた技巧とは
「百人一首」にも載っているこの歌には、大きく二つの意味があります。
一つ目の意味は、ストレートに
「大江山や生野(いずれも現:京都府福知山市付近。諸説あり)への道のりは遠いので、天橋立(現:京都府宮津市)にいる母からの文(ふみ。手紙)は届いて=見ていません」
というもので、もう一つの意味は、少しひねって
「大江山に行く、野の道は遠いので、(もっと遠い)天橋立にはまだ行った(踏み、見た)事がありません」
というものでした。
生野と「行く野」、文と「踏み(到達)」をとっさに掛詞(かけことば)とする小式部内侍の機転にすっかり狼狽えてしまった定頼は、歌には歌を返すマナーも忘れて逃げ出してしまい、すっかり恥をかいてしまったそうです。
女流歌人として地位を確立
これ以来、小式部内侍を「親の七光り」などと馬鹿にする者はいなくなり、めでたく女流歌人としての地位と名声を確立していきました。
(※もしかしたら、母親が丹後国へ旅立つ前に、こういう事態を想定して作っておいた、と邪推できなくもありませんが、さすがに野暮というものです)
そして、母親と同様に恋多き人生を歩むことになるのですが、その華麗な恋人たちの中に、なぜかあの定頼もラインナップされており、実に男女の仲とは不思議なものです。
(※あの意地悪な定頼の、どこが良かったんでしょうね。また、年齢差も気になるところです)