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「親の七光り」なんて言わせない!和泉式部の娘・小式部内侍が見せつけた当意即妙の歌才

「親の七光り」なんて言わせない!和泉式部の娘・小式部内侍が見せつけた当意即妙の歌才:4ページ目

その後・受け継がれる歌才と夭折の哀歌

しかし「佳人薄命」とはよく言ったもの、万寿ニ1025年11月、藤原権中納言公成(ふじわらの ごんちゅうなごん きんなり)の子を出産した際に亡くなってしまいます。まだ20代半ばでした。

まだ二十代も半ばの花盛りというのに……母親の和泉式部は悲しみのあまり、歌を詠みました。

「とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり」

【意訳】私の娘(小式部内侍)は母と子供を遺して、どちらのことが、より心残りでしょう……きっと子供の方でしょうね。現に私は、娘であるあなたを亡くしたことをこんなにも悲しんでいるのだから。

この歌は哀悼歌の傑作として『後拾遺和歌集(ご しゅういわかしゅう)』にも収録され、我が子を亡くした親の悲しみを現代に伝えています。

ちなみに、小式部内侍はこの子以外にも、藤原左近衛大将教通(ふじわらの さこのえのだいしょう のりみち)との間に息子を、藤原春宮少進範永(ふじわらの とうぐうしょうしん のりなが)との間に娘をもうけており、それぞれ歌才が受け継がれていったそうです。

終わりに

もしかしたら、彼らもまた「和泉式部の孫で、小式部内侍の子である」ことを理由に「親の七光り」などと言われ、それぞれに闘いがあったのかも知れません。

しかし「運も実力の内」と言うように、たとえ偶然であってもその親から生まれたのも何かの縁であって、持って生まれたものを活かすも殺すもその人次第なのだと思います。

七光りに嫉妬する側にしても、必ず誰かから生まれ、何かを受け継いだことに違いはないのですから、それを活かすよう心がけた方が、より人生を充実できるのではないでしょうか。

 

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