除夜の鐘は何で百八つ?除夜の鐘で祓われる煩悩の「内訳」を紹介!:3ページ目
まとめ
ここまで調べてきて「おかしいな」と思われた方も、もしかしたらいるかも知れません。
「あれ?『浄』ってダメなの?仏様の御心に適うなら、いいんじゃないの?」
筆者もそう思いましたが、よく考えたら、仏教の求めるところは解脱(げだつ)、簡単に言えば「あらゆるものからの解放」であり、その観点からすれば、善いことを願う心すら「煩悩」に過ぎないのかも知れません。
何も感じず、考えず、ただあるがままにして仏様の御心に適う存在であることこそが理想なのかも知れませんが、なかなかそこまでは悟りきれないものです。
でも、悟りきれないからこそ人間らしく、味わい深い人生なのだと、除夜の鐘を聞きながら、そんな事も考えたりします。
最近では、騒音の苦情などによって除夜の鐘を取りやめてしまうお寺もあるそうですが、この情緒ある風習が、いつまでも続いて欲しいと願っています。
2019年12月30日 更新:記事内容を一部変更しました