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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第23話

【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第23話:7ページ目

深く傷ついた豊国には、その絵とその絵を描く腕を持つ少年が宝物のように思えた。

どうしても、その子どもだけは手元に置いておきたいと思った。

「国芳。おめえは、わっちの最後の夢だ」

実際に顔を合わせてみりゃロクでもねえ生意気なガキだったが、おめえを最後の弟子にする事はその時に既に決めていたと、豊国は目を閉じたまま言った。

「芳にだけは、今まで国貞や他の弟子たちにしてやれなかった事、見せてやれなかったもの、そういうものをたくさん教えてやろうと思った。まあ結局、ロクに構ってやれなかったがな」

「父っつぁん、覚えてっか。一度だけ、品川に鯨ア見に行った時の事」

「ああ、覚えてらア。おめえに見せたくって首根っこ掴んで引っ張り出したっけ」

「わっちゃア、あん時父っつぁんに一生分構ってもらったんだ。嬉しかった」

そうか、そうだったかと、豊国は微笑(わら)った。

「国芳」、

国芳は、慌てて豊国の右手を取った。肉が削げ、皮膚が余って皺だらけになったその手を今すぐ取らないと、豊国がどこかに行ってしまいそうな気がした。

「決して、傍観者になるな」

「ボウカンシャ?」

「傍らで見ているだけの人間の事だ。おめえはこの国貞を傍観するだけの人間になるな。お前も一緒に歌川派っつうでっけえ鵺(ぬえ)の手足になって、歌川の看板を背負え。身体全部で、時代と世の流れを捉えろ。そしてこの国貞や他の奴らを支えてやってくれ」

「うん。自信ねえけど、やってみるよ」

国芳の強い眼光を見届け、豊国は優しく頷いた。

「国貞」

国貞は迷子の子どものような表情で、豊国の手に縋った。

「今まで辛い思いをさせて悪かったな。もうおめえを縛るもんは何もねえ。おめえは、新しい時代の豊国になれ。わっちのなれなかった豊国に。笑いたい時には笑い、怒りたい時には怒り、泣きたい時には泣いて心のままに生きる、そういう粋な豊国に・・・・・・」

国貞は国芳の知る限り初めて、泣いた。その子どものような素直な泣き方を、国芳は意外に思った。

豊国は溜め息を吐くように、言った。

「ほんに、おめえらが弟子で、幸せ・・・」

つむった目尻から、つうと涙が一條流れて落ちた。

国芳が握る右手は、かつて幾千の作品を生み出した奇跡の天才絵師の右手であった。国貞が縋る左手は、かつて何人もの弟子達の頭を何度も撫ぜた、優しい父親の左手であった。

「おめえらは、わっちの大切な」。・・・・・・

大切な、何だったのかは二人には聞き取れなかった。

ただ、底抜けに明るく笑った豊国の顔が、国芳と国貞の頭から永遠に離れない記憶となった。

文政八年一月八日晩、二人の師であり父親であった豊国が息を引き取った。

国芳は、豊国と見た大きな背美鯨が忘れられずに、随分経ってからあの鯨を描いた。三枚摺の、大作であった。

 

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