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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第22話

【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第22話

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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第21話

前回の20話はこちら[insert_post id=80721]■文化八年、二月(3)国直の住む日本橋新和泉町(しんいずみちょう)は人形町通りの東にある。この辺りは元吉原の区画内で…

◾文化八年、二月(4)

国直が芳三郎を居候させはじめたという噂は、すぐに工房内に広まった。

「おい芳坊、国直のどこがいいんだ」

国直と仲の良い国丸と国安が寄ってきて、声をひそめて訊いた。国安と国直は同い年、国丸は一つ下で、入門時期もほぼ同時である。

三人とも門下で有数の筆達者で、「歌川の三羽烏」ともてはやされた。

 

 

「絵が上手くて、強そうなところ?」

芳三郎が素直に答えると、二人はぶっと噴き出した。

「お前、本当に国直の稚児なのか」

「それともこいつ、意味分かってねえのか」

「おいてめえら」

国直は二人にげんこつを落とした。

「何が稚児だ。変な事吹き込むな。こいつア純粋に絵が好きなだけだ」

「ははあ、何にも知らねえのか。だがそれじゃあ良い絵は描けめえな」

「ああ。描けめえよ。あれを知らねえことにアな」

国安と国丸のひそひそ声に、芳三郎はすぐ飛びついた。

「兄さん、あれってなんだ!おいらに教えつくんねえ」

二人は顔を見合わせて、

「よし、それならまず、その可愛らしい前髪を落とすが先でエ!」・・・・・・

考えてもみればすでに十六にもなっているものを、勘当されて烏帽子親もおらず、元服という儀式自体すっかり忘れ去られたまま日々が過ぎている。

こうして芳三郎は、急きょ元服することになった。

声を掛けても頑なに顔を出さない両親の代わりに、豊国が烏帽子親になって前髪を落とした。

その日工房に出ていた門弟たちは国貞を除いて全員が顔を出し、元服の儀の一切を見守った。

前髪を落とした芳三郎が顔をあげると、兄弟子たちが自分を取り囲んでにこにこしていた。

「こりゃアなかなか、見れたもんだぜ」

「悪くねえな」

「役者みてえな二枚目よりもちょいと面白えくらいの顔が可愛げがあって女にウケがいい」

「ああ、これア可愛がられらア」

「眉の間にちょいと険のある若い後家さんなんかが、こう、つっと袖を引いて、艶いた声で『あら芳ちゃん』、なんつってな!ガハハ」

「おめえの想像力にはいつも感服すらア」

「筆下ろしはやっぱり吉原(なか)かな。早々に済ませてやらねえとな」

「忙しくなるぜ畜生!」

門弟たちが嬉々として話すのを見て、豊国が嘆いた。

「てめえらア結局悪所の話か。わっちゃアこんな助平養成所を開いた覚えはねえぞ!」

国丸がすかさず手を挙げて、

「父っつぁん!父っつぁんのせいじゃアありやせん。俺たちゃたまたま、本当にたまたま、助平なのが揃っちまっただけでさア」

「そうか!そりゃろくでもねえ偶然だな!」

豊国は苦笑し芳三郎を振り返った。

「芳、良かったな。ここにいりゃア女の事なら滅法心強いようだぜ。見回してみろ、絵筆は二流三流でも、そっちの方面では一流の褌親(ふんどしおや)がずらりと雁首揃えていやがらア」

豊国の言葉に、全員がどっと笑った。

「お前か?」

「アア、違げえねえ。兄さんの事だな」

「俺ア違げえぞ、筆も一流でい」

弟子たちが二流三流の汚名を押し付けあっていると、ついに豊国の雷が落ちた。

「てめえら全員だ!」

「あいすいやせん、お父っつぁん!」

全員が声を揃えて謝った。

「よおし!芳も今日から、俺の描きおろしの艶絵見放題だな!」

お調子者の国安が間髪入れず声を上げた。隣の国丸も、

「俺も引き出しに仕舞ってあるぜ、まだ誰にも見せてないとっておきの艶絵」

顔を見合わせてにやにやする二人は暇さえあれば腕を奮って艶絵を描き、門弟の間で回した。同時に二枚回す時にはどちらの艶絵の評判が良いかという賭けまでして遊んでいる。

「安と丸ア、変な事ア教えるなよ」

「あい、任せてくだせえ父っつぁん!何をどこに差し込むてえところからきちんと順序立てて仕込んで行きますから!」

豊国のげんこつが落ちて、二人は静かになった。

「父っつぁん、しかして芳三郎の名はどうするのです」

「わっちゃアもう決めてるぜ」、

豊国は一呼吸置いて、名をしたためた半紙を開いた。そこにあった名は、

「孫三郎だ」。

ホウ、と弟子たちは声を上げた。

「なんでまた、孫三郎です」

「そりゃアおめえ、丁度わっちの孫くれえの歳だからだ。子どもの歳なら子三郎、孫の歳なら孫三郎」

また皆がどっと笑った。

「父っつぁん、いくらなんでもデタラメすぎらあ。それを名前にしますかねえ!」

「イヤア、これでも随分長い事考えて、あれでもねえ、これでもいけねえと頭を悩ませたんでエ」

親に勘当されて頼れる身内の居なくなった芳三郎を憐れに思い、せめて自分の事を親とは思えずとも祖父のように思って貰いたいという裏に込めた豊国の優しさなど、誰も気付きもしない。

「ただし、ご両親に付けてもらった芳三郎の名に愛着もあろうから、画号の方に残すことにした」

てことは、と兄弟子たちはざわめいた。

「『国芳』。おめえは今日から、『国芳』だ」。・・・・・・

「ヨッ、国芳!」

「よかったな!国芳」

工房の兄弟子たちも、次々に声をかけて祝ってくれた。馴染めば優しい人間ばかりであった。

「さアて、今日は祝宴だ!いいとこ連れてってやらア」

国芳はすうすうと風の通る額に戸惑っている間に兄弟子たちに担ぎ出されて、辿り着いてみればいつのまにやら浅草の裏手、青柳のさやらさやらとたなびく奥の吉原遊廓の門前にいた。

 

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