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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第22話:2ページ目
「ここは」
何度か、春の吉原桜や秋の吉原俄の練り物を見に両親と訪れた事がある。
が、今日はそういうためではない。
兄弟子たちは頼もしい笑顔で頷いた。
「金は、俺たちが持つ。成人祝いだ」
女を知れ、というのである。
祝いと言われては無碍にもできず、国芳はままよ、と門を潜った。
一門の行きつけだという見世に大勢で登楼り、馬鹿騒ぎの酒宴ののちに国芳はめくるめく女郎の手ほどきを受けた。
四つの鐘と九つの鐘が続け様に鳴り相娼が眠りに落ちたのちも、初めて女を知った衝撃で国芳は全く眠れなかった。
更に一刻ほど経った丑の刻頃、国芳はこっそり蒲団を抜け出した。
蒲団といっても実家や国直の家にあるようなのとは全く違い、中の綿は倍ほど厚い。
しかもこの吉原では、この時刻になっても行燈が消えない。
しかも生臭い魚油ではなく高級な菜種油であった。
「ここは、竜宮城か」
国芳が立ち上がり、柱や欄間、天井などしげしげとその竜宮城の造りを眺め始めたその時である
「旦那さま」
「うわア」
背後から聞こえた声に驚いて尻もちをつくと、衝立の裏から幼い禿(かむろ)が二人、丸い目をきょろりと覗かせてこちらを見ていた。
少女たちは可愛い声で訊いた。
「なにか、不都合がありいしたか」
「いや、大丈夫だ」
「では、御手水に?」
「いや、ただ、その、・・・・・・今日がいろいろ初めてだったもので、びっくりして眠れねえだけだよ。羞ずかしいけれど」
国芳は、後ろ頭を掻いた。
子ども相手に何を言っているのだろう。
ますます羞ずかしさがこみあげて、赤面した。
「そうだ」。
国芳はぱっと思いつき、懐から紙と矢立の筆を取りだした。
そして、角行燈の下でさらさらと素早く何かを描きつけた。
「これ、何かわかるかえ」
「なあに」
二人は小さな頭をもたげて、国芳の絵を覗き込んだ。あどけない二つの顔が、灯に赤く照らし出された。
「歌舞伎だよ。中村座の『遅桜手爾波七字』の越後獅子。今年の新作だぜ」
「ふうん」
「分かりいせん」
「越後獅子、知らねえのか」
「はじめて見いした」
そうか。
国芳は胸を衝かれた。
この子どもたちは、ほとんど妓楼から出られないために、娑婆で当たり前の大道芸すら知らないのである。
「じゃあ、これは」
さらさらとまた別の紙に描きつける。
ぱっと子どもに見せると、二人はきゃっきゃと笑った。
「こら、姐さんが起きちまうよ」
と叱りつつも、そうか、そんなに面白いかと国芳は嬉しくなった。
描いた絵は、狐やガマや猫が可笑しな格好でひょうきんに踊っている、それだけの戯れ絵である。
禿たちがもっともっととせがむので、国芳は動物たちの手に凧を描き加えた。
「凧は知ってるかえ?」
「知りいせん。面白いの?」
「面白いぜ。正月になりゃ皆やるんだ」
「どういうの?」
こういうのだ、と国芳は自分が描いた絵を指しながら説明した。
「奴や三番叟やら武者やらが、空を飛ぶのさ」
「お空を?」
「ほんとうにい?」
「変なのお」
くすくす笑いの止まらない二人の禿を見ていると国芳まで楽しくなって、三人で笑った。
「それ、やるよ」
国芳は二人分ちゃんと描いて、幼い禿たちにそれぞれ与えた。これが、国芳としての初めての絵になった。
「どうだった、首尾は。楽しかったか!?」
帰りがけの土手八町で兄弟子たちに囲まれて尋問のように訊かれた時、国芳の脳裏には女との褥の事よりも夜中に子どもと交流したその記憶が鮮明に浮かんだ。
国芳は笑み笑みして、
「あい、楽しかったです」
と答えた。兄弟子たちは、そんな事とも知らずに手を叩いて喜んだ。
その翌年の正月二日。・・・・・・
「凧やア、凧」
国芳は初めて凧売りに身をやつし、手製の凧を渋紙張りの籠いっぱいに詰めて、吉原遊廓の門をくぐったのであった。
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