昭和時代の娯楽の王様だった紙芝居屋のおっちゃんはいったい何者だったのか?:2ページ目
娯楽の王様だった街頭紙芝居
日本で生まれ育った人なら、一度は紙芝居を見たことがあるでしょう。この紙芝居、大きく分けて「教育紙芝居」と「街頭紙芝居」の2つに分類されます。「教育紙芝居」は主に道徳教育を目的とした紙芝居です。おなじみの昔話なども、よく語られますね。幼稚園や図書館などで、先生やボランティアが語り手になって披露されています。
一方、かつて横丁や空き地などで紙芝居屋のおじさんが披露していたのが「街頭紙芝居」。昭和初期に第1次ブームが起こり、太平洋戦争後の昭和20年代に第2次ブームが起こりました。戦前生まれから団塊の世代の人々にとって、子ども時代の思い出と切り離せないものです。
代表作は『黄金バット』『少年タイガー』『ゴールデンマスク』『猫娘』『墓場奇太郎(ハカバキタロー)』など。
教育より娯楽性を重視した作品がほとんどです。物語には残酷な描写があったり、ほんのりお色気があったりと、子ども向けとしては少々刺激の強い要素も含まれていました。そのため「俗悪」のレッテルを貼られ、子どもに悪影響を及ぼすと非難されたこともありました。しかし、それで人気は衰えることはありませんでした。
午後になり小学生が下校する頃、どこからともなく現れる自転車。荷台には引き出し付きの大きな箱、その上に紙芝居をはめる枠。箱は舞台代わりでした。拍子木や太鼓の音が響いたら、紙芝居が始まる合図です。子ども達は喜び勇んで駆けつけました。
テレビもインターネットもなく、漫画も発展途上だった時代、子どもにとって紙芝居は娯楽の王様だったのです。
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