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昭和時代の娯楽の王様だった紙芝居屋のおっちゃんはいったい何者だったのか?

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子どもは紙芝居屋をどう見ていたのか

飴を売ることが商売だったと聞いて、意外に思われた方も多いと思います。
では、子どもの頃に実際に紙芝居を見ていた人々は、紙芝居屋をどうとらえていたのでしょう。

現在70歳代の、昭和20年代の第2次紙芝居ブームを体験した人に話を聞いたところ、「紙芝居屋=飴屋」という認識はありませんでした。話をまとめると「太鼓の音が聞こえたら、とにかく駆けていった。そういや、おじちゃんは飴をくれたなぁ」という、おぼろげな記憶だけが残っているそうです。
その他の証言を読んでも、個人差はありますが、当時の子供たちの間で「紙芝居屋=飴屋」という認識は薄かったようでした。

「あれ、話が違うぞ」と思われるかもしれません。しかし戦前~戦後に紙芝居制作に関わった人々の証言によれば、「飴を買った子どもに紙芝居を見せる」というシステムだったこと自体は間違いありません。あくまでも「飴の売り上げ」が収入源だったのです。

多くの子どもの認識が「紙芝居を見たいからお金を払う。そしたら飴をくれる。飴をなめながら紙芝居を見る」となったのは、ビックリマンチョコや仮面ライダースナックと同じ仕組みと考えられます。オマケである紙芝居が主役になり、お菓子のほうがオマケになってしまった。そんなパターンの元祖かもしれません。
そうはいっても、飴と紙芝居は切っても切れぬ関係でした。甘い飴をなめながら紙芝居を見る時間は、子どもにとって至福の時だったのです。

甘いお菓子と奇想天外な物語。ドキドキを与えてくれる紙芝居屋は、紛れもなく子どもたちのヒーローでした。

参考文献

 

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