【豊臣兄弟!】仕組まれた切腹か…佐々成政を破滅に追い込み、刀狩りへ繋がった「太閤検地」の残酷な真相:2ページ目
太閤検地はどのように行われたのか?
ここで教科書的にはなりますが、太閤検地がどのように行われたのかを簡単にお話ししましょう。
太閤検地は、秀吉が統治体制を整えるための政策ですので、全国で統一的な基準を用いることに大きな意味がありました。
そこで、土地の測量に使う道具や単位も統一されていきます。測量には、1間を6尺3寸(約1.9メートル)とする検地竿が用いられました。そして、1間四方の面積を1歩(ぶ)、300歩を1反として、田畑の広さを測量したのです。
また、検地の主な目的の一つが、土地から得られる米の収穫量の把握にあったため、土地の面積だけでなく、土地の良し悪しと、そこから見込まれる米の収穫量も調べました。
収穫量は「石高」という単位で表され、調査の結果は土地の面積・耕作者の名前・石高などとともに「検地帳」に記されました。
田畑は、土地の良し悪しや地形、水利、地質などの生産条件をもとに、上・中・下・下々の4段階に区分され、それぞれの等級に応じて収穫高を見積もり、年貢を課す際の基準としたのです。
検地帳に登録された農民は、その土地を耕作する権利を認められます。しかし一方で、その土地に課された年貢を納める責任を負うことになりました。
検地は秀吉が安定した政権を築くための政策
『豊臣兄弟!』では、石田三成(松本怜生)が、なにやら秀吉の警護隊長的な役割を演じていますが、三成の本領はそのような役目ではありません。
三成は豊臣政権の奉行として、太閤検地などの行政実務にも深く関わりました。実際の検地では、その配下の奉行や現地の役人たちが重要な役割を担います。
そういえば、『豊臣兄弟!』第37話「秀長の国」で、検地の場面が描かれていましたね。大和の米がおいしくないことを知った豊臣秀長(仲野太賀)は、庄屋の石川清兵衛(伊藤健太郎)に米作りの助言をします。
そこで、興福寺から多大な年貢を課されている領民たちの実情を知り、役人を派遣して厳正な検地を行う場面です。
このように、検地は奉行やその配下の役人が現地に赴き、土地の面積や収穫高などを細かく調べることで進められました。
それは検地の本質が、領主が土地の面積や生産力を把握し、それを年貢賦課の基準とするための重要な政策であったからです。
となると、検地は農民を救うための減税政策ではありません。むしろ、それまで把握されていなかった土地や収穫高が明らかになり、新たに年貢の対象となる場合もありました。
また、土地の生産力が明らかになれば、農民からの年貢の徴収だけでなく、大名や領主の領地を正確に把握でき、軍役を課す基準ともなります。
つまり、太閤検地とは、秀吉が全国を統一的に支配し、安定した政権を築くための重要な政策であったのです。

