『ブラッサム』強烈モラハラの父(渡部篤郎)と優しい継母(国仲涼子)…史実もドラマ越えの壮絶さだった!?:4ページ目
優しい継母とは生涯の続く仲に
俊次は、1913年(大正2年)、千代16歳の時に57歳で病没。
家の中で息を潜めるように暮らしていた妻も子も、父の支配から解放されました。
近所の人は「これからはお気楽になれますよ」とひそかに喜んでくれたそいいます。(『生きていく私』)
そんな父に対し、愛情深く優しい継母の葉野リョウのモデルとされているのは、宇野千代の実の継母・宇野リュウ(旧姓・佐伯リュウ)です。
リュウは、明治 33年(1900)頃、千代の父・宇野俊次45歳と17歳で再婚。千代とは約12〜14歳差でした。
俊次との間に千代の異母弟妹4男1女(薫・鴻・勝子・光雄・文雄)を出産しています。
けれども、実子よりも千代を最優先して大切に扱っていたとか。ドラマの中では、「珠さま」と「さま」を付けて呼んでいましたね。
リュウは、千代とは生涯を通じて仲良く心から支え合ったそうです。
こんな心根の優しい女性がなぜ、横暴で親ほど離れた年齢で、放蕩親父の俊次と再婚したのか?
出会いや結婚までの経緯がわかる史料などはないようです。ドラマでは、そのきっかけとなるようなエピソードは描かれるのでしょうか。
子守りや家政婦として求められた女性
明治時代、妻を亡くした中年男性が若い女性を後妻として迎えるのは珍しいことではありませんでした。
残された幼い家庭の世話をする母親が代わり、家事などを担う労働力、再婚後の子作りなどが目的で、実務的な選択としての再婚は、少なくなかったとか。
現代のように「親子ほど年齢差がある」ことは問題視されず、また、一人の伴侶と寄り添わねばならないという倫理観も上流階級、庶民階級ともに強くなかったと伝わります。
ドラマでは、産後のリョウを放置し外に遊び歩いているばかりの清次をみると、妻ではなく、乳母と家政婦と子孫作りの相手としてしか見ていないような。
史実に伝わる父・義理の母・娘の今後を考えると、ドラマでは「どうしようもない父親」「優しいけれど我慢を重ね父を諌められない継母」の間に揉め事が起こっていきそう。
それと同時に、「そんな部分もあったのか」と思うような父の一面や、義理の母の本音なども描かれるのかもしれませんね。
※関連記事:
朝ドラ『ブラッサム』元夫の弟と同棲&4度の結婚!ヒロイン葉野珠(石橋静香)のモデル・宇野千代の生涯【前編】
参考:
『宇野千代 その言葉と人生』四條 たか子
湯沢雍彦『明治の結婚 明治の離婚』(角川選書、2005年)

