『豊臣兄弟!』お市と勝家、まさかの天守ダイブ!はあり得ない?実際の死に様と三姉妹のその後などを考察:4ページ目
月代を剃った羽柴兄弟
せっかく政務も家族も放り出して大徳寺に引き籠もるなら、いっそ頭を丸めるくらいしたらどうなんだ……などと冗談で考えていたら、髪のすべてではなく月代(さかやき)を剃っていました。兄に倣ってヒゲも生やし、天下人とその補佐役たる貫禄十分……でしょうか。
物語が残り1/3に差し掛かるタイミングで月代を剃ったわけですが、元々は兜をかぶる時に頭髪で熱中症になるのを予防するために行われたものだったそうです。
それが戦国時代に入ると合戦の機会が多くなったので、日常的に月代とするようになり、亡き信長が推奨したことで、より広まったと言われています。
それまで毛抜きを使って一本ずつ抜いていたののですが、信長は剃刀を使って剃るスタイルを提唱。手入れのしやすさとすっきりした見た目から、武士の身だしなみとして定着していきました。本作の信長は最期まで総髪でしたが、こういうオシャレな一面もあったようです。
やがて江戸時代に入ると、武士はもちろん庶民たちの間でも「お侍たちと同じ髪型にできる」とばかり月代を採り入れ、日本文化を象徴する髪型の一つになっていきました。
現代人のファッション感覚から見れば、月代は珍妙に見えて評判もよろしくないようです。劇中でも「皆が笑える世にするため、まずは家臣たちを笑わせる」として、羽柴兄弟が月代をお披露目していました。
この文脈だと、要するに「みんなを笑わせる・ウケをとる」ために月代を剃ったように感じられてしまいます。
しかし実在の小一郎や秀吉、他の戦国武将たちが月代を剃っていたのは、決して「笑ってチョンマゲ(丁髷)」とばかりウケを狙うためではありません。
彼らは命を賭けた勝負を前に気合いを入れるため、いざ死んでしまっても恥ずかしくない心意気を示すために剃ったはずです。
ともあれ月代を剃って気合十分、天下一統に向けた羽柴兄弟の活躍を楽しみにしています。
【べらぼう】ダサい?江戸時代の人はアノ髪型(月代)をどう思っていた?その語源と歴史
第34回放送「最強のライバル」
自ら政治を動かすようになった秀吉(池松壮亮)は、その権威の象徴として絢爛豪華な大坂城を築城。諸国の有力大名が挨拶に訪れる中、家康(松下洸平)だけは関東平定を理由に姿を現さず、小一郎(仲野太賀)はその動向を危ぶむ。懸念どおり、信雄(山脇辰哉)が家康に接近、秀吉を倒そうと持ち掛ける。誘いを断る家康だったが、脳裏にはかつて今川家の人質だったころの苦境、そして信長の命で妻子を処刑した苦渋の決断がよぎり..
※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
大好きなお市を喪った傷心から立ち直った羽柴兄弟は、いよいよ天下一統に向けた野心を露わにしました。もちろん主筋の織田信雄(山脇辰哉)がそれに従うはずもなく、徳川家康(松下洸平)に泣きついて対抗を試みます。
次回は徳川家臣団が一気に充実するので、小牧・長久手の戦いに向けてますます見どころが増えてくることでしょう。これからも楽しみに見守りたいですね!
小牧・長久手の戦いについて↓
【豊臣兄弟!】遂に秀吉vs家康の直接対決、勝敗は?全国の猛将が結集「小牧・長久手の戦い」の結末
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