尼僧姿で体を売った女性たち…江戸の闇「売比丘尼(うりびくに)」とは?禁忌に群がった男たちと最期:3ページ目
継承された仕組み
売比丘尼が増えると、日本橋・京橋・赤坂などに売比丘尼専門の中宿が作られました。彼女たちは朝に自宅から中宿へ向かい、そこを仕事の拠点にしたのです。
ここが一般的な遊廓とは大きく異なるところでした。女性が遊廓に常駐するのではなく、客のもとへ女性が出向く仕組みだったからです。
しかも前借制にしばられず、出張するかどうかも自由意志で決め、売上から一定の割合を中宿へ支払う方式だったとされています。これは現代のコールガールの仕組みとよく似ていますね。
元禄(1688〜1704)ごろになると、売比丘尼による売春は最盛期を迎えました。ところが宝永三年(1706)、私娼への取り締まりが売比丘尼にも及び、地下へ潜らざるを得なくなります。
さらに追い打ちがかかります。寛保元年(1741)に中宿で起きた武士と売比丘尼の心中事件をきっかけに弾圧が強まったのです。こうして、売比丘尼は次第に姿を消していったとされます。
※江戸時代の心中に関して、こちらの記事で紹介しています。
全裸で晒されても止まらない…江戸の男女を狂わせた「心中ブーム」の異常すぎる熱狂と幕府の苦悩
しかし、ここまで読んでみてお察しの通り、このような売春の営業形態は現代にも継承されています。おそらく現代のデリバリーヘルスのやり方などは、売比丘尼から暗黙の裡に脈々と受け継がれたものなのでしょう。
宗教者の姿をまとい、固定された遊廓ではなく中宿から客のもとへ出向くという営業形態は、江戸の売春史でもかなり特異な存在でした。
しかし人間の欲望は多様かつ無限です。現代のコスプレでもシスター萌えというジャンルがあるように、本来なら禁欲を当然とする宗教者だからこそ燃えるという男性もいたに違いありません。
売比丘尼は、単に大昔の売春の一形態だっただけではなく、現代も続く出張制の売春のパイオニアでした。それと同時に、尼僧萌えというジャンルが日本においても今に始まったものではないことを示す証左なのです。
こちらの記事も合わせてご覧ください
男専門に体を売る若き美少年……江戸時代の男娼「陰間」は出身地により「格」が違った【前編】
10歳以下の幼い子も…異国に売られていった日本人少女たち「からゆきさん」の売春の実態
参考資料:樋口清之『日本史探訪 もう一つの歴史をつくった女たち』ごま書房新社、2025年
画像:Wikipedia,PhotoAC


