『豊臣兄弟!』信長の草履がつないだ“兄弟の絆”…第28回「急げ!秀吉」で織田から豊臣へ託されたバトン:2ページ目
小一郎が“そのとき”本能寺にいたわけ
業火に包まれる本能寺を呆然と見つめる小一郎。
「なぜ小一郎が本能寺に?」という声がSNSでも上がっていました。もちろんドラマ上での創作です。
「豊臣兄弟!」では、昔は仲の良かった弟を討った信長の苦悩が、幾度となく描かれてきました。
脚本を手がける八津弘幸氏によると……。
信長の苦しみを癒すのは「弟・小一郎だけ」ということ。
本能寺の変の前、二人きりで酒を酌み交わした時、「信勝様は上様を恨んではおりませぬ。到底かなわない兄を持った弟として分かる」と言う小一郎の言葉に、信長の弟へのトラウマがゆるりとほどけていきました。
だからこそ、切腹前に目の前に現れた弟の幻影に「ろくでもない人生でしたな」と言われ、「是非もなし=(信長は自身の)人生にもう悔いはない」と言い笑いながら死ねた……という意図があったそう。
この場面を描くには、小一郎は京都にいる必要がありました。そこで、時代考証の専門家にも相談し前回のような脚本になったそうです。
けれど、小一郎が“そのとき”に現場にいたことで、森乱(市川團子)から信長を守れなかったことを聞け、燃え落ちるのをこの目で見たから現実から逃げることなく受け止めることができたのでしょう。
卓越した調整能力を持つ「秀長」らしい作戦
京都にいる小一郎は明智軍から命を狙われているため外に出れず。家臣へ「その先」を考えた司令を出しました。
・浅野長吉(大地伸永)には「長浜城にいる家族に逃げよ」と伝えさせる
・藤堂高虎(佳久創)には「周辺の諸将が明智に加担せぬよう」引き止めの書状を届ける役を
・信長の首が見つからないうちは、日和見者が出ることを想定し「信長様はまだ生きている」という噂を流す
・信長を備中に連れてくるために街道筋の宿にお金をばら撒いたことを利用、秀吉の中国大返しの補給・休息所にしてもらう
そして兄・秀吉への文は前野長康(渋谷謙人)に託しました。
史実では、「秀長は備中高松城攻めに参戦するために周辺にいた」という説が有力なのですが、そのままでは、あの新レジェンド『小栗・信長の本能寺の変』のストーリーは誕生しなかったでしょう。
まさに、クリエイティブの面白さ。
以前、このドラマの劇中で平蜘蛛釜について「本物か偽物かなど、どうでもよい」と言った松永久秀を演じた竹中直人さんが「豊臣兄弟!」に対して、「『歴史を塗り替えてこそ、真の大河ドラマだと思っています』と力強いメッセージを送った」……というエピソードが、いつも思い出されます。
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