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なぜ皇室典範に「譲位」はなかったのか?上皇陛下の生前退位で浮かび上がった明治政府の思惑

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なぜ皇室典範に「譲位」は存在しなかったのか

現上皇陛下(明仁天皇)の円滑な生前退位を阻む要因ともなった『皇室典範』に、なぜ譲位の規定が盛り込まれなかったのか。

そこには皇室典範の規定を主導した、明治の元勲・伊藤博文の思惑が関係していたのである。

伊藤はその理由について、1889年(明治22年)に刊行された『皇室典範義解』の中で「権臣の強迫により両統互立を例とするに至る。しかして南北朝の乱またここに源因せり。権力を持つ臣下による圧力や介入によって皇位継承が乱れ、結果として南北朝の争乱を招いたのである)」と述べている。

つまり伊藤は、天皇が自ら譲位の意思を示すことが可能になると、周囲の政治勢力(権臣)がこれを乱用し、皇位継承に不当な影響をおよぼす危険性があるとしたのである。

王政復古と「天皇一世一元」の理念

そしてもう一つ、皇室典範に譲位の規定がない理由がある。それは明治政府が打ち出した「王政復古」と大きく関係していた。

これは、明治新政府が掲げた政治理念で、初代天皇の神武天皇の時代を理想としたものである。つまり「王政復古」とは、日本の歴史上で皇位の譲位が頻繁に行われるようになる以前の「天皇一世一元」のあり方へと立ち返ることを意味したのである。

そのため、制定された『皇室典範』には「天皇崩ずるときは、皇嗣すなわち践祚し、祖宗の神器を承く」と記され、天皇が即位する条件は、前の天皇が崩御することであると明確に定められたのである。

3ページ目 譲位を認めなかった明治政府の真意とは

 

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