朝ドラ「風、薫る」チュウの意外すぎる史実!新宿中村屋創業者・相馬愛蔵とりんのモデル・大関和を結んだ生涯の絆:2ページ目
妻のため、東京永住と商売を始めることを決意
退院した相馬愛蔵は、学校卒業後に北海道に渡り養蚕学を学び、故郷の安曇郡白金村に戻り蚕種製造を始めます。さらに、禁酒会を作ったり村に芸妓を置く計画に反対し廃娼運動も行いました。
愛蔵は、孤児院基金募集で仙台に出向いたときに、星良(りょう)と出会い、明治31年(1898)28歳で結婚します。
そして3年後の明治34年(1901)、相馬愛蔵は東大赤門前のパン屋・本郷中村屋を買い取り、商売人としての人生をスタートしたのでした。
農家出身で青年期は一書生だった愛蔵はなぜ商人になったのか?
これについては著書『一商人として ―所信と体験―』の中で、
▪️「勤め」が嫌いで独立した人間でいたかった
▪️田舎暮らしが合わず体調を崩した妻のため東京永住を決めた
▪️東京で生活するには商売を始めたほうがいいと思った
と理由を挙げています。
「御用商人を嫌い癒着せず欲張らない」が愛蔵の信念
「東京で商売をしよう!」と決めたものの、何をするか迷った愛蔵は「新しく誰が行っても同じで、素人玄人の開きの少ないものがいい」と考えます。
目をつけたのは『パン』でした。当時、パンは徐々にインテリ層の生活に溶け込みつつあったので、将来的に一般家庭の食事として馴染むか見極めるため、愛蔵は1日2度パン食に切り替え三ヶ月試します。
結果「パン食はいける!」と判断、「パン屋を譲り受けたい」と広告を出したところ、すぐに申し込みがあり、その中に東大赤門前のパン屋・本郷中村屋があったそうです。
そこで、商品、製造道具、職人などすべて居抜きで買取り、パン屋をスタートしたのでした。
買い取る前の中村屋が店を手離す理由が、先代の主人が米相場に手をつけて享楽的な生活をしたためと聞いた愛蔵は、
・目鼻のつくまで衣服は新調しない
・食事は主人も店員女中たちも同じもの
・米相場や株には手を出さない
・原料の仕入れは現金取引
などと決め質素倹約に勤め商売に励んだ結果、「書生あがりのパン屋」は日に日に売り上げを伸ばしていきました。
知名度が上がっても、明治維新以来、政府と切っても切れない因縁の仲にある『御用商人』を嫌った愛蔵。「店の経費を払い、職人・雇人に世間並みの待遇さえ出来れば、それ以上の利益はなくていい」という信念の上で経営を続けます。
そして、開業3年目で新作クリームパンとクリームワッフルを発売。ある日初めてシュークリームを食べてその美味しさに感動し、クリームをあんぱんの餡の代わりにしたらより栄養価が高くなり風味も美味しくなると思ったからだそうです。

