『豊臣兄弟!』逃げた夫のせいで処刑…荒木村重の妻・だし(山谷花純)、信長の怒りに葬られた悲劇の生涯:4ページ目
まさに信長による残虐過ぎるジュノサイド
戦国時代、さまざまな大虐殺が記録に残されていますが、妻のだしを含む有岡城に残された人々の人処刑は凄まじいものだったと伝わります。
『信長公記』によると、
「嘆きもだえて声をあげて泣いて悲しむ姿は、見ていられなかった。その様子は、気丈な武士でさえも、岩や木のように黙って表情を変えることなく見守ることはできず、涙を流さない者はいなかった」
「地獄の鬼でさえここまでの呵責はしなかったろう。あまりのひどい様子に肝も魂も消えるほど、二度と見ることはできないほどだった。哀れなその様は、言葉では言い尽くすことなどできない」
という意味合いのことが書かれているそう。
これがすべて史実でなら、ここまでの大量殺戮をする信長の残虐性はもちろんのこと、この虐殺は想定はできたはずなのに、自分だけ逃げ出す荒木村重の行動にはぞっとします。
村重は逃げたその冬、信長はだしを含む荒木一族を京都へと護送。
翌日に、人質の妻女100数十人は、尼崎城外にて美しい着物を纏ったままの姿で処刑されます。
一方、京都へ護送されただし達は『妙顕寺』(京都府京都市)の牢へ入れられた後、大八車に縛り付けられ京都市内引きまわしの刑に。
六条河原へ到着し大八車から降ろされただしは、毅然と自ら着物の帯を締め直し、髪を高く結い首を差し出し、斬首されました。
このとき、荒木だしは21歳(24歳という説も)。よくも「見せしめ」に、ここまで極悪非道なことができたものだと言葉もありません。「戦国時代だからしかたない」という話もありますが、やはり怒りを覚えます。
