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『豊臣兄弟!』逃げた夫のせいで処刑…荒木村重の妻・だし(山谷花純)、信長の怒りに葬られた悲劇の生涯

『豊臣兄弟!』逃げた夫のせいで処刑…荒木村重の妻・だし(山谷花純)、信長の怒りに葬られた悲劇の生涯:2ページ目

荒木村重とは20歳違ったものの仲はよかった

だしは、摂津有岡城主・荒木村重の妻で、弘治4年/永禄元年(1558)に生まれたとされています。(諸説あり)

出自は、父は「石山本願寺」に仕えた川那部家の人物、母は田井源介の娘とする説、織田信長の側室・生駒の方と、最初の夫・土田弥平次との間に生まれた娘とする説があり、謎に包まれているようです。

だしは、池田城(現在の大阪府池田市)城主・池田勝正に家臣として仕えていた、荒木村重のもとへ嫁ぎました。村重には池田長正の娘が正室として存在していたため、継室・側室であった可能性のほうが高いようです。夫婦の年齢は20歳以上離れていたそうですが、非常に仲がよかったと伝わっています。

「だし」という、一度聞いたら忘れられないようにインパクトのある名前も諸説あります。

⚫︎有岡城(現在の兵庫県伊丹市)の城郭の出丸・「出し」に居住していたことから命名されたが、本名は「ちよほ」「かじ」だという説。

⚫︎だしはキリシタンだったので、洗礼名「Daxi」が由来という説。ただし、
辞世の句で、仏教の「西方浄土」へ行くだろうと詠んでいることから、この説は疑問視されています。

「今楊貴妃」とも呼ばれた美貌の女性

だしはとても「美しい女性」だったそうです。

たとえば『信長公記』では「だしと申すは聞こえ有る美人なり」(だしとは、有名な美人で知られている)とか、『立入左京亮宗継入道隆佐記』では、「一段美人にて、い名は今楊貴妃と名づけ申候」(一段と美人で、楊貴妃の再来もいわれている)などという記述があるとか。

また、美しいだけではなく、非常に教養があり知的な女性だったという説も。

ドラマ「豊臣兄弟!」では、荒木村重が「うまい!」と食事をする様子を見て「安堵…しておられるのですね」と微笑むだし。

「だって、その食べっぷり」と笑うと、村重は、「いろいろ上手くいかず、いつ上様から叱られると生きた心地がしなかった」と言います。

「わしはこれまで必死に生きてきたんじゃ。そなたのような美しい妻や子に恵まれた。あとは楽しくて面白く生きていきたい。

あわよくば、これまでやってきた播磨の国衆とのつながりを生かして、筑前に貸しの一つも作れればそれで十分じゃ」

という村重。

「何をおっしゃいます。それこそが強欲ではございませぬかと返すだし。

歳の離れた妻ながら、村重が自分の胸の内を吐露したくなるような頼れる妻

この仲睦まじい様子は、未来の残酷な運命の前振りに感じて戦慄します。浅井長政(中島歩夢)の嫡男・万福丸(※)がさりげなくフェードアウトしたように、「だしは逃げ切った」脚本にして欲しいと願ってしまいました。

※万福丸:信長の命令で磔にして串刺しにされた説が

3ページ目 夫・荒木村重のせいで悲劇的な最期を迎えるだし

 

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