【豊臣兄弟!】お市が長政を介錯した悲劇の舞台、“あの小谷城”へ…聖地巡りしたい巨大な山城の見どころ:3ページ目
6)桜馬場跡
赤尾屋敷から大手筋に戻り『桜馬場跡』へ。大広間跡の手前にある、西側に伸びる細長い曲輪です。南西端は、信長の本陣があった虎御前山を見張るのに適した場所だったそうです。
大河ドラマ「江」のロケ地にもなりました。城内随一のパノラマが広がり「小谷城址碑」「浅井氏家臣供養塔」があります。天気がいいと琵琶湖に浮かぶ竹生島もはっきり見えるそうです。
7)黒金御門跡
山中に突如として現れる石段と石垣の遺構が『黒金御門跡』。小谷城の中でも特に重要な門で城の防御と格式を備えた存在です。石垣を基盤に設けられた、いかにも戦国時代の山城らしい厳重な構造だったそうです。
「黒金」とは鉄板や鉄製の金具で装飾された門で、浅井家の威光と格式を象徴する門でもありました。現在は石垣の痕跡が残るのみですが、重厚で堅固な門の威容の雰囲気が伝わってくるようですね。
8)大広間跡
石段を上ると、小谷城で最も広い削平地が現れます。小谷城の曲輪の中でも『大広間跡』は、「千畳敷」とも呼ばれ戦国大名・浅井長政が政務や儀式を行い、家臣たちと会議を開いたとされる重要な場所。
特に浅井長政が織田信長との同盟でお市の方との婚姻を結んだ後は、織田家の重臣らを迎えたり外交の場としても機能していたのではないかと推測されています。
9)本丸跡(鐘の丸)
小谷城の中心部『本丸跡』は、城主・浅井長政の居館で政治・軍事の中枢であった場所です。城郭の中でも最も重要かつ堅固に作られていて、城の防衛の要でもありました。お市の方や、その子供たちも、この本丸か周辺の屋敷で暮らしていたそうです。
10)「大堀切跡」
『大堀切跡』は、尾根を大きく断ち切ったような大規模な堀跡で、見どころの一つ。案内によると、番所跡から本丸跡までの一帯を区切るためのものだそうです。
本丸跡を過ぎて、さらに「中丸跡」「刀洗池」「京極丸跡」、大型の石を用いた重厚な大迫力の石垣で小谷城防御の要になった『大石垣』が。
戦国時代の山城は一般的に石垣はあまり用いず土塁や木柵が主流な中で、小谷城のように石垣技術を用いた大規模な石垣が築かれている城は非常に珍しいそう。その技術力の高さを表しています。
新緑の季節、出かけるときは現地情報の確認を
「大石垣」のそばには、四段からなり最長部に山王権現(現小谷神社)が祀られ小谷城の詰めの丸と考えられている標高約400mほどの場所に『山王丸跡』があります。
さらに「山王丸跡」から山道を登ると『月所丸跡』を経て、小谷山の山頂に『大獄城跡』が。一般的には「本丸跡」までが観光ルートになっているようですが、体力がある人は山頂の「大獄城跡」まで登るのもいいでしょう。
まだまだ小谷城には見どころがあります。新緑が美しい季節なので訪れる人は多いようですが、登山の装備をしている人は皆、「クマ対策」のためにクマ鈴をつけていたとか。登るときには、必ず行政などのクマ情報も確認してください。
大自然の中に息づく浅井家の城跡。個人的に、戦国武将ダントツ一推し武将・浅井長政とお市を忍び、いつか訪れてみたいと思っています。
※「小谷城シャトルバス」は、今季は5月6日(水)で終了
※小谷城戦国歴史資料館 公式サイト
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参考:
『浅井長政のすべて』小和田哲男 編 新人物往来社
『お市の方の生涯 「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像 』
黒田基樹著 朝日新書









