『豊臣兄弟!』なぜ足利義昭(尾上右近)は信長を見殺しにしたのか?姉川で動けなかった“将軍”の限界[前編]:3ページ目
それでも足利将軍は武家の棟梁だった
とはいえ、足利氏は幕府を打ち立てた武家の棟梁です。室町幕府は、はじめからそのように弱かったのでしょうか。
室町幕府の歴史は、大きく三つの時期に分けられます。初代尊氏から2代義詮の南北朝抗争期、3代義満から6代義教の幕府安定期、そして8代義政・9代義尚以降は戦国期とされます。
戦国期の真っただ中に生きた足利将軍としては、10代義稙・11代義澄・12代義晴・13代義輝・14代義栄・15代義昭と続いていきます。
戦国期に入ると、将軍たちは将軍職をめぐる争いのなかで京都を追われ各地を転々とする「流れ公方」と呼ばれる状況になり、義輝のように殺害された将軍もいれば、義稙や義栄のように地方で没した将軍もいました。
このように本来、武家の頂点に立つはずの将軍が、常に命の危険と隣り合わせにあったのです。
なぜ、ここまで足利将軍の軍事的基盤は弱体化してしまったのか。その本当の理由は、単なる「直轄領の少なさ」だけでは説明できません。
次回[後編]では、足利将軍が“強大な軍事力を持てなかった理由”に踏み込み、『豊臣兄弟!』で、義昭が動けなかった背景をさらに深掘りしていきます。
※参考文献
山田康弘著『足利将軍たちの戦国乱世』中公新書刊
