『豊臣兄弟!』小一郎の“僧侶の変装”や説得は史実?「本圀寺の変」の実際…第11回振り返り・解説
足利義昭(尾上右近)を奉じて上洛を果たした織田信長(小栗旬)は、故あって早々に岐阜へと引き揚げてしまいました。
大和の国主となっていた松永久秀(竹中直人)も、信長に忠誠を示すため岐阜へ行ってしまったため、京都の守りが手薄になってしまいます。
その隙を狙って、三好長逸(中野英樹)・三好宗渭(奥田洋平)・石成友通(阿部亮平)の三好三人衆は、義昭が御所としていた本圀寺を襲撃しました。
本圀寺に残されていたのは、明智光秀(要潤)らわずかな近臣たちだけ……絶体絶命の窮地を小一郎(仲野太賀)の機転で乗り切ります。
いっぽう浅井長政(中島歩)に嫁いだお市(宮崎あおい)は舅の浅井久政(榎本孝明)からいじめられますが、かえって長政との絆を深める結果となりました。
今回も手に汗握った大河ドラマ「豊臣兄弟!」第11回放送「本圀寺の変」重要ポイントを振り返って参りましょう。
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「本圀寺の変」実際はどうだった?
劇中では駆け足だったので、本圀寺の変について軽くおさらいしたいと思います。
本圀寺の変は永禄12年(1569年)1月5日から1月6日にかけて、三好三人衆が足利義昭を襲撃した事件です。
昨永禄11年(1568年)9月に京都を追われた三好三人衆は、本拠地である阿波国(徳島県)まで撤退しました。
しかしこれは兵力温存を目的とした戦略的撤退であり、劇中でも語られる通り「(成り上がりの信長など)どうせすぐにいなくなる」と思っていたのでしょう。
堺の町衆に支援を受けながら時期を見計らい、信長と久秀が京都を離れた隙に義昭を襲撃したのです。
しかし義昭らは果敢に抗戦し、一夜明けて1月6日になると援軍が駆けつけたことで、みごと三好三人衆を撃退したのでした。
この援軍とは細川藤孝(亀田佳明)や和田惟政(玉置孝匡)、荒木村重(トータス松本)らであり、藤吉郎秀吉(池松壮亮)ではありません。
話を盛り上げるためとは言え、彼らの活躍が奪われてしまったのは、ちょっと残念に思います。
ちなみに義昭の危機を知った信長が、わずかな手勢で雪の中を駆けつけたエピソードは史料にあり、久秀と共に1月10日に到着しました。



