『豊臣兄弟!』菅田将暉ビジュアル公開!軍師・竹中半兵衛は美貌と理性を持ち合わせた戦国インテリだった:2ページ目
「異様なほど整った顔立ち」と言われるビジュアル
竹中半兵衛は、戦国武将の逸話470条を収録した江戸時代中期の逸話集『常山紀談』や秀吉の伝記『太閤記』によると「その容貌、婦人の如し」という記述が残されているほど、美しいビジュアルだったようです。
およそ戦場が似合わないような細見で中性的なルックスだったために、斎藤家時代には同僚にいじめも受けていたとか。
現在残されている「竹中重治像」(画像1)をみると、なかなか強面で華奢なイメージはないのですが。
けれども、豊原国周、歌川国芳など浮世絵師が描いた作品(画像2)も見ると、かなり整った顔立ちに描かれています。(歌舞伎役者が演じているものもありますが)。こちらのほうが菅田半兵衛に近いようですね。
ビジュアルのよさが本人にとってどう役立ったかは、知るよしもありませんが、普段は口数が少ないおとなしい“静”の人物でも、いざとなれば、政にやる気のない主君・斎藤龍興を稲葉山城から追い出して乗っ取るという大胆な智謀も発揮する……
そんなギャップも魅力なのかもしれません。
病弱であるからこその思考や体の慎重な管理
竹中半兵衛は、女性のような風貌だっただけではなく、幼い頃から体が弱く、戦乱でもしばしば病を患っていたとか。そのため“出陣するときも静かに馬に乗っているだけ”という逸話もあります。
決して、武勇伝を誇るタイプではありませんでした。その分、それを上回るほどの状況判断力や人心掌握力を持ち、頭脳作戦に秀でていたようです。
常に自分の体の不調と隣り合わせだった半兵衛。いつ何が起こるか予測のできない戦国では、体調不良による一瞬の判断ミスがそのまま命運を分けてしまうこともあるでしょう。
半兵衛は、しばしば病に臥しながらも、戦場に戻って陣中で死を迎えることを望んだといいます。(本人の願い通り、36歳という若さで合戦中に病に倒れて陣中にて死去したそうです。)
半兵衛を語るときにしばしば使われる “慎重”という表現ですが、望み通りに“その時”を迎えるために、自身の体調管理も常に慎重に考えていたのかもしれません。


