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『豊臣兄弟!』史実とドラマから戦国最強の肝っ玉母ちゃん・なか(坂井真紀)の人物像と生涯を考察

『豊臣兄弟!』史実とドラマから戦国最強の肝っ玉母ちゃん・なか(坂井真紀)の人物像と生涯を考察:4ページ目

「天下人の母」として秀吉の出世人生に関わる

ドラマの2話では、母と姉妹が「たっしゃでな〜!」と叫びつつ鳴らす「願いの鐘」の音に見送られて、兄弟と、初恋の幼馴染・(白石聖)たちは、元気一杯に村を飛び出していきます。

これから兄弟はドラマティックな出世街道を歩んでいきますが、その過程を見守っていたなかの人生も激変します。

史実では、頭角を表した秀吉は、浅井長政攻めの功績で旧領地を拝領、長浜城を築城し、母と姉妹を呼び寄せ一緒に暮らすようになります。

その後、秀吉と徳川家康の対立が激化すると、和睦の一環として秀吉は、妹・あさひ(旭姫)を離婚させ家康の正室として嫁がせ、母・なかを人質として送り込みます。

大切な母を人質に出すことは、秀吉にとっても苦渋の選択だったかもしれません。なかは出世する息子たちを見守るうち、徐々に肝が据わっていったのでしょうか。

「天下人の母」として、“自分ができることは責任を果たそう”と決意したのだと思います。

秀吉が関白になったことを機に「大政所」となったなか。晩年は、大阪城や聚楽第などで過ごしますが、いろいろな心労がたたったのか、病気がちになってしまいます。

そして、文禄元年(1592)頃に、享年80歳頃に息を引き取りました。

秀吉が天下人となった後も、なかの母としての存在感は揺るがず、豊臣政権において精神的な支柱であり続けました。そんな母の死は、秀吉に大きな打撃を与えたそうです。

5ページ目 荒波を生き抜き“天下を育てた母”

 

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