わずか40年でまるで別の国に──明治の日本人が「捨てたもの」と「守ったもの」:3ページ目
なぜ日本は「全部は真似しなかった」のか
ここで重要なのが、日本が近代化にあたって「全部は真似しなかった」という事実です。明治の日本人は、決して無条件に西洋を崇拝していたわけではありません。
欧米諸国は技術や軍事力では進んでいましたが、社会問題も多く抱えていました。貧富の差は激しく、労働者の生活は厳しく、治安も必ずしも良いとは言えません。日本の指導者たちは、海外でそうした現実を自分の目で見ています。
だからこそ日本は、「必要なものだけを選ぶ」という判断をしました。軍事、法律、制度、技術は取り入れる。一方で、言語、礼儀、生活習慣、季節を大切にする感覚などは守る。この取捨選択は、感情ではなく、極めて現実的な判断でした。
日本には、江戸時代から続く比較的安定した社会秩序があり、高い識字率や地域共同体も存在していました。すでに機能しているものまで壊す必要はなかったのです。
すべてを変えれば、日本は日本でなくなる。
しかし、変わらなければ生き残れない。
そのギリギリの線を、明治の人々は必死に考え続けました。
明治時代の約40年は、今の私たちへの問い
時代が変わっても、社会は常に変化し続けます。
そんな中で、「何を捨て、何を守るのか」という問いは、いつの時代にも突きつけられます。
この問いに正解はありません。
ただ、考えることをやめた瞬間に、人は流されるだけになります。
明治の日本人は、迷い、衝突し、それでも考え続けました。
だからこそ、日本は形を変えながら生き延びたのです。
歴史とは、過去の暗記事項ではありません。
それは、未来を選ぶための、先人たちの思考の記録なのです。
※関連記事:
鎖国を続けていた日本が明治時代になって超短期間で近代化できた5つの理由を解説
日本は、江戸時代まで約260年間「鎖国」を続け、海外との関わりを制限していました。しかし、明治時代(1868年~1912年)になると、わずか数十年で西洋の技術や制度を取り入れ、近代的な国へと生まれ変わ…
江戸のインフラは先進国レベル!近代化に出遅れたはずの江戸時代、実は産業技術の高さにペリーも驚いていた
近代化と日本の職人技かつての教科書では、江戸時代の日本は鎖国していて外国と交流がなかったから、欧米に比べてずいぶん遅れていたと書かれていたものです。そして明治になってやっと開国し、…
参考文献
- 落合 弘樹 『』 (2015 講談社学術文庫)
- 浅沼信爾・小浜裕久『幕末開港と日本の近代経済成長』(2021 勁草書房)
- 沖田 行司 『日本国民をつくった教育――寺子屋からGHQの占領教育政策まで』(2017 ミネルヴァ書房)

