手洗いをしっかりしよう!Japaaan

『豊臣兄弟!』の聖地巡礼 ──超重要、天下統一の契機「中国大返し〜山崎の合戦」の真相に迫る【前編】

『豊臣兄弟!』の聖地巡礼 ──超重要、天下統一の契機「中国大返し〜山崎の合戦」の真相に迫る【前編】:3ページ目

山崎の合戦に勝利し歴史の主役に躍り出る

このような動きによって、12日には秀吉軍は4万を超える大軍へと膨れ上がり、京都へと迫ります。一方、光秀は兵力の増強が思うように進まず、1万7千の兵で山崎(大山崎)へ向かわざるを得ない状況にありました。

山崎は、京都と大坂を結ぶ西国街道沿いに位置し、大軍を展開しにくい狭隘な地形です。光秀は、この地形であれば数に勝る秀吉軍に対しても勝機があると判断したのです。

そして13日の夕方、合戦の幕は明智軍の攻撃によって切って落とされました。しかし、その前面に立ちはだかったのは、秀吉の味方に加わった中川清秀・高山右近らの摂津衆でした。

彼らはもともと光秀麾下の武将たちであり、畿内に留まっていたため、「中国大返し」で急遽引き返してきた秀吉本隊と比べると、はるかに休養が十分でした。明智軍はこの摂津衆を切り崩すことができず、数に勝る秀吉軍によって押し込まれていきます。

そして、この流れを止めることができなかった明智軍は、ついに総崩れとなりました。光秀は再起を図るべく、居城である坂本城へ向かいます。しかし、途中の山科小栗栖において、落ち武者狩りを行っていた農民の手によって重傷を負い、ついに自刃して果ててしまいました。

この「山崎の合戦」を契機として、豊臣秀吉と秀長は、一気に歴史の主役へと躍り出ることになるのです。

それでは[前編]はここまで。[後編]では、決戦の地である山崎を訪ね、「山崎の合戦」を身近に感じてみましょう。

[後編]の記事はこちら↓

『豊臣兄弟!』の聖地巡礼 ── 豊臣秀吉・秀長、天下統一へ「山崎の合戦」の舞台を訪ねる【後編】

2026年1月4日(土)、豊臣秀吉とその弟・秀長の生涯を軸に、激動の時代を生きた人々の波乱と魅力を描くNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』が、いよいよスタートしました。本稿では、物語の舞台となった“…

◎参考文献
高野晃彰(京あゆみ研究会)著 『京都ぶらり歴史探訪ガイド 今昔ウォーキング』メイツユニバーサルコンテンツ刊

 

RELATED 関連する記事