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武士のはじまりは誰か?のちの武家社会の基盤を作った武将「新羅三郎・源義光」を挙げるべき理由

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源氏のゴタゴタに巻き込まれる複雑な立場

義光の生涯は、華やかなだけではありませんでした。源氏内部では後継争いや暗殺事件が相次ぎ、義光もその渦に巻き込まれます。特に「義忠暗殺事件」では、黒幕としての義光の関与を認める説もあるようです。

この事件は、1109(天仁2)年、源義家(八幡太郎)の嫡男である 源義忠(よしただ) が、郎党によって突然殺害された事件です。義忠はまだ30代前後とされ、義家の後継者として期待されていた人物でした。その死は、源氏内部の人間関係を大きく揺るがせる“爆弾”のようなできごとでした。

結局、この事件の真相は不明です。ただ、義光が源氏の重要な局面にいたことを物語る出来事ではあります。武士の歴史は、常に光と影が入り混じります。義光もまた、その中心にいた人物でした。

名家の祖となり、やがて後の武家社会を大きく動かしていく

義光の子孫の広がりは、とにかくすごいです。

・武田氏(武田信玄の家)

・佐竹氏

・小笠原氏

・南部氏

これらは戦国時代でも大名として活躍した有力家系ばかり。つまり義光は “のちの武家社会の基盤をつくった人物” と言えるのです。

彼が“武士の原点”と呼ばれるのは、この広がりによるところが大きいでしょう。決して派手な武功だけではなく、地道に築いたネットワークが後世にまで続いた。義光のすごさは、まさにそこにあります。

3ページ目 “新羅三郎”の名前の由来を追ってみる

 

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