武士のはじまりは誰か?のちの武家社会の基盤を作った武将「新羅三郎・源義光」を挙げるべき理由:3ページ目
“新羅三郎”の名前の由来を追ってみる
義光が「新羅三郎」と呼ばれるのは、滋賀県大津市の 新羅善神堂 で元服したからです。この場所には義光の墓所も残っており、静けさの中に歴史の空気が漂います。
また鎌倉の大宝寺にも墓があり、義光を祀る神社も全国に点在します。歴史散歩のテーマとしても魅力的な人物です。
義光の人生には、派手な戦勝や華々しい出世こそ多くはありません。それでも、後の武家社会の形は彼の歩いた道なしには語れません。
兄の危機に迷わず駆けつけた行動力。笙を奏でる静かな時間。一門の争いの中で生き抜いたしたたかさ。そして、数々の名家へ広がっていく血脈。どの要素も、ひとりの人間の複雑さそのものです。
こうした一つ一つが合わさり、義光は “武士の原点”を象徴する存在 といわれています。
義光を知ると、武士の歴史の見え方がちょっと変わります。教科書では見えない、もう一つの“源氏の物語”が浮かび上がってくるはずです。
参考文献
- 西川広平 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第32巻 甲斐源氏一族』(2021年 戎光祥出版)
- 日本歴史大辞典編集委員会『日本歴史大辞典』(1985年 河出書房)