武士のはじまりは誰か?のちの武家社会の基盤を作った武将「新羅三郎・源義光」を挙げるべき理由
「武士のはじまりって、結局どの人なの?」
歴史の授業でそう感じたことはありませんか?源義家(八幡太郎)や平清盛、源頼朝の名前はすぐ浮かぶけれど、実は “武士社会の土台”を作ったキーパーソン がもう一人います。
それが 平安時代後期の武将、新羅三郎・源義光(みなもと の よしみつ)。
派手に名を残したわけではないのに、彼の行動がなかったら、武田信玄も佐竹義宣も小笠原長清も歴史に登場していなかったかもしれません。
今回は、そんな義光の足跡を、少しゆっくりとたどってみたいと思います。
行動力すごすぎ!兄のピンチに許可なしで出陣した男
義光には、有名な兄がいます。「後三年の役」で活躍した 源義家(八幡太郎) です。
あるとき、その義家が戦で苦戦しているという知らせが京に届きます。
すると義光は――
「兄上が危ないなら行くしかない!」
と、朝廷の許可も待たずに東北へ出発。許可より実行。こういう思い切りの良さが、義光の大きな魅力です。
本来なら、朝廷にきちんと許可を得てから出陣するのが筋です。でも義光は、そんな手続きを待っていられなかったのでしょう。
「兄のために、今すぐ行く」。
そう思ったら、一気に東北へ向かってしまった。
当然ながら官職は剥がされてしまいますが、義光の生き方はいつもこんなふうに“まず動く”タイプだったのだと思います。その勢いが、やがて東国での勢力づくりにつながっていきました。
武芸も音楽もトップクラスという“異才”
戦場での腕前はもちろんですが、義光の特筆すべき点はもう一つあります。なんと 笙(しょう)という雅楽の楽器の名手 だったのです。
山中で師匠から秘曲を授けられたり、名器をめぐる逸話が残っていたりと、平安貴族顔負けの“雅の世界”にも深く関わっていました。荒々しい戦と、静かな音楽。その両方を自分の中に住まわせていたところに、義光ならではの魅力があります。
2ページ目 名家の祖となり、後の武家社会を大きく動かす
