【べらぼう】最終回に瀬川(小芝風花)登場!?史実での瀬川と鳥山検校のその後と視聴者の声
11月28日(金)に『大河ドラマ べらぼう 蔦重栄華乃夢噺 四』(ノベライズ)が発売され、そこには驚きの展開が記されていました。
かつて蔦重(横浜流星)の元を去って行った瀬川改め瀬以(小芝風花)が、駕籠屋の女将として再び登場するというのです。
もしその場面が大河ドラマでも再現されるなら、視聴者にとってこれほど嬉しいことはありません。
果たして二人はどのような再会を果たすのでしょうか?せっかくなので、今回は実在した瀬川についてもおさらいしたいと思います。
五代目瀬川の生涯~鳥山検校の身請けまで
瀬川は松葉屋半左衛門(正名僕蔵)抱えの遊女で、小芝風花が演じた五代目瀬川を含め9人(9代)が在籍していました。
生年や出自などは不詳、蔦重と幼馴染だったという記録も残っていませんが、貸本屋と遊女として交流くらいはあったかも知れません。
劇中でも描かれた通り、安永4年(1775)に鳥山検校(市原隼人)こと鳥山玉一(たまいち)が800両で身請けしました。劇中では1,400両となっていましたが、正味の身請け代金が800両、その他の経費が1,000両に及んだと言われています(諸説あり)。
1両10万円として、8,000万円~1億8千万円。それだけ払っても妻に迎える価値が認められていたことは確かでしょう。
※参考:
鳥山検校の「検校」って何?江戸時代の視覚障害者の職能団体「当道座」について詳しく解説【大河べらぼう】
カネにモノを言わせた鳥山検校の瀬川身請けは当時の江戸で大変な話題となり、作品として取り上げられました。しかし、その多くが瀬川を批判する内容となっています。
例えば安永7年(1778年)田螺金魚『契情買虎之巻』や、安永8年(1779年)柿本臍丸『花の姿色名寄』では、カネ欲しさで検校に身請けされたことが批判されました。
また安永9年(1780年)の南陀伽紫蘭『玉菊燈籠弁』に至っては、伝説の名妓・玉菊が化けて出て、「真芝屋(松葉屋)」の「屁川(瀬川)」をほぼ名指しで批判する始末です。

