【べらぼう】最終回に瀬川(小芝風花)登場!?史実での瀬川と鳥山検校のその後と視聴者の声:2ページ目
姿を消した瀬川はどこへ?
ともあれ吉原遊郭から「おさらばえ」した瀬川(※瀬以の名は創作)ですが、安永7年(1778年)に鳥山検校らの悪徳な高利貸しが発覚しました。
鳥山検校ら8名が捕縛され、それぞれ江戸から追放処分が下されます。先ほどの作品たちは鳥山検校の没落について「ざまぁ見ろ」と言わんばかりに出版されたものです。
喜多村信節『筠庭雑考(いんていざっこう)』によると、瀬川は鳥山検校と離縁した後に二度の結婚生活を送りました。
二人目の夫は、深川六間堀(江東区)に住む深川何某(ふかがわ。実名不詳)という武士。彼との間に2人の子を産みますが、夫に先立たれてしまいます。
三人目の夫は、本所埋堀(墨田区)で大久保家町屋敷に勤めていた大工の結城屋八五郎(ゆうきや はちごろう)。二人で老後を送りました。
※明治時代の人物伝奇雑誌『有名無名(宮武外骨編)』では、かつての馴染みだった飯沼何某と再婚し、飯沼屋敷に出入りしていた大工の結城八五郎と再々婚したと言います。
その後どんな最期を遂げたのかは分かりませんが、末永く幸せに暮らしたことを願ってやみません。
二度目の「おさらばえ」で蔦重の元から去ってしまった瀬川ですが、案外近くに住んでいたのですね。本気になって探せば見つかりそうな気がしなくもありませんが、そこであえて追い駆けていくのも野暮というものでしょう。
ちなみに江戸から追放されてしまった鳥山検校ですが、事件から13年後の寛政3年(1791年)に赦免され、元の地位を回復しています。
