『べらぼう』子供は無事生まれる?歌麿の葛藤と決断…史実を元に11月2日放送内容の深堀り解説:2ページ目
大黒屋光太夫とは
オロシャの船がネモロ(根室)に来航、その理由は漂流民の大黒屋光太夫(だいこくや こうだゆう)らの送還でした。
大黒屋光太夫とは伊勢国の船頭で、神昌丸で江戸に向かう航海中に遭難。約10年間にわたる漂流生活を余儀なくされます。
出航時点で17名だった仲間たちは次々と死亡し、また別れ(改宗によりロシア残留)、日本に帰国できたのは光太夫・磯吉・小市の3名だけでした。
根室で小市も亡くなり、光太夫と磯吉は江戸に送られ、徳川家斉(城桧吏)の前で取り調べを受けます。
光太夫のロシア滞在を通じて得られた知見によって蘭学が発展、またロシアの東方進出による北方情勢の緊迫化が伝えられました。
これを契機に松平定信はロシアとの交渉を図りますが、ほどなく失脚。幕府には大きな課題がもたらされたのです。
帰って来た唐来参和
【べらぼう】逃げ出した唐来参和(山口森広)、その後どうなった?大河では描かれない戯作者の行方
ふんどし野郎こと松平定信(井上祐貴)の御政道「寛政の改革」を風刺した黄表紙『天下一面鏡梅鉢』を絶版処分にされてしまった唐来参和(山口森広)。大河ドラマ「べらぼう」の第37回「地獄に京伝」では蔦…
『天下一面鏡梅鉢』で絶版処分を食らった唐来参和(山口森広)。逃げたと思ったらちゃっかり戻って来ましたね。
しばらく断筆していたものの、やはり書かずにはいられなかったのか、復帰後も多くの作品を世に出しました。
寛政5年(1793年)
- 『再会親子銭独楽(めぐりあう おやこのぜにごま)』画:北尾政美
- 『人唯一心命(ひとはただ いっしんいのち)』画:根岸優婆塞
寛政6年(1794年)
- 『大道具鯱幕無(おおどうぐ しゃちでまくなし)』画:歌川豊国
寛政7年(1795年)
- 『善悪邪正大勘定(ぜんあくじゃしょう おおかんじょう)』画:北尾重政
寛政10年(1798年)
- 『家内手本用心蔵(かなでほん ようじんぐら)』画:松栄斎長喜
- 『曽我物語嘘実録(そがものがたり うそのじつろく)』画:不詳
しょうもないけど、どうにも憎めない唐来参和。滝沢瑣吉(津田健次郎)に教えを乞われて戸惑っていましたが、暗くなりがちな最終盤のムードメーカーとして期待しましょう!

