京都 三条大橋「土下座像」の正体は? 実は土下座ではなかった尊皇思想家・高山彦九郎の忠義心【前編】:2ページ目
2ページ目: 1 2
旅の始まり
やがて彦九郎は「旅の人」となります。北は津軽半島の果て、南は鹿児島まで、日本各地を歩き続けました。
1773年(安永2年)の『赤城行』では赤城神社から伊香保温泉までの旅を記し、1774年(安永3年)の『甲午春旅』では江戸から京都に向かう途上で伊勢神宮や熱田神宮に参拝しました。1790年(寛政2年)の『北行日記』では津軽半島の先端にまで至り、蝦夷地渡航を望んだことが記されています。
これらは単なる旅行記ではありません。社寺や温泉の記録にとどまらず、農村の困窮や飢饉の惨状までも書き留め、当時の社会を映し出しています。
皇居望拝
彼の象徴的な行動が「皇居望拝」です。京都滞在中、三条大橋から御所の方角に拝礼を繰り返しました。その姿が後に銅像として残り、今も人々の目に触れています。
あれは「土下座」ではなく、ひたすら天皇への敬意を示した拝礼でした。頼山陽の『高山彦九郎伝』にも記され、彼の人生を語る上で欠かせない場面です。
【後編】の記事はこちら↓
京都 三条大橋「土下座像」の正体は? 実は土下座ではなかった尊皇思想家・高山彦九郎の忠義心【後編】
京都の三条大橋を渡ったことがある人なら、橋のたもとにひとつの銅像を見たことがありますよね?皇居の方角に深く頭を下げる姿から「土下座像」と呼ばれています。あれは高山彦九郎(1747年〈延享4年〉–1…
参考文献
- 唐沢道隆『高山彦九郎 : 草莽之臣』(1943 国立国会図書館)
- 千々和實・萩原進編『高山彦九郎全集』(1954 高山彦九郎遺稿刊行会)
- 野間光辰『高山彦九郎 京都日記』(1974 淡交社)
- 千々和實・萩原進編『高山彦九郎日記』(1978 西北出版)
- 木部克己 編『高山彦九郎の実像 維新を呼んだ旅の思想家』(1993 あさを社)
- 正田喜久『明治維新の先導者 高山彦九郎』(2007 みやま文庫)
ページ: 1 2

