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幕末の新選組40%が病人だった!近藤勇が頼った名医・松本良順が見た衝撃の屯所の実態

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屯所内の病室づくりと獣肉食を推進する

良順は、近藤・土方に病室や風呂など、隊士たちの療養のために必要な設備を数時間かけて説明します。それは、主に西洋式の病院の概略と屯所内を清潔に保つことについてであったようです。

良順と近藤がしばらく談笑していると、一度退室した土方が戻ってきて、良順の話しに従って、病室をつくったと言います。その上で、「ご覧いただき、さらに必要なものがあればご教示いただきたい」と頼みました。土方について行ってみると、そこには病室が整い、3個の浴槽を備えた浴場ができ上がっていたのです。

江戸時代には、新選組がいた京都だけでなく、日本全国で風邪・インフルエンザ・麻疹(まっしん)・赤痢(せきり)・梅毒などの感染症が波状的に流行しました。

このような感染症を予防するには、まずは清潔な環境づくりが重要でした。特に、掃除が行き届かず、大人数が起居をともにする平隊士たちの部屋は、風邪などの感染症が流行し始めると、あっという間にその温床となってしまったことでしょう。

また、200名近い隊士の食事を賄う台所には、生ごみが散乱していました。良順は、それを餌として豚を飼育することを近藤に提案します。近藤も、隊士の健康状態が悪い原因の一つは栄養の偏りにあると考えていたため、この提案をすぐに了承しました。

江戸時代は、殺生を嫌う文化から獣肉は表向き禁忌とされてきました。しかし江戸の人々は、滋養強壮のため“薬を食う”と称して、獣肉に舌鼓をうっていたのです。獣肉は一般には猪肉・豚肉で、獣肉を売る店を「ももんじ屋」といい、当時流行り始めた鍋で食していました。江戸育ちの近藤や土方は、もしかしたら豚肉を食べた経験があったのかもしれません。

こうして、5頭ほどの豚が飼育されるようになりました。ただ、当時はまだ肉食文化が十分に浸透していなかったため、隊士たちは当初こそ気味悪がって口にするのをためらっていました。しかし、一度食べてみると、豚肉の美味しさに驚かされたようです。

その後、良順は鳥羽・伏見の戦いの後、歩兵頭格医師として幕府陸軍および奥羽越列藩同盟の軍医となり、戊辰戦争を転戦します。その折には、北越戦争で戦う長岡藩の河井継之助に「肉のタタキ」を贈ったり、会津戦争では若松城に籠城する会津藩士たちに牛肉を食べることを勧めたりしています。

こうした松本良順の支援により、隊士の約40%が活動不能に陥っていた新選組も、京都の治安維持という本来の職務に向けて再生を果たすことができたのです。

 

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