すし・鰻・天ぷらは江戸庶民のファストフード 〜江戸時代グルメの誕生秘話と高級化の歴史:5ページ目
天ぷらは庶民の要望に合ったファストフード
すし・鰻と肩を並べる江戸の屋台の人気メニューが「天ぷら」でした。天ぷらが文献に登場するのは、1748(寛延元)年刊の『料理歌仙の組糸』です。ここには「魚介・菊の葉・牛蒡・蓮根・長芋などに饂飩の粉をまぶして油で揚げる」と記されています。
そして「天ぷら」は登場すると、またたく間に人気を博します。それは、揚げたてをすぐに食べられるといった手軽さと、脂肪分の少ない和食と比べ、油で揚げるという異色の食べ物という点が、庶民の要望にぴったりとあったからでした。そしてこの流行を支えたのが、江戸中期以降の菜種油や胡麻油の増産であったのです。
文化年間(1804~1818年)になると、屋台でも天種に鰹などの高級魚を使い始めます。これが人気を呼び、店舗を構えて「天ぷら」を提供する高級店が現れました。さらに客先に材料と道具を持ち込み、アツアツを食べてもらう「出張天ぷら」まで現れたのです。
当初は、庶民をターゲットにした「すし」「鰻」「天ぷら」でした。しかし、しばらくすると高級化するというところに、なにやら江戸の人々の食に対する情熱や旺盛さをみるようでとても興味深いです。
今後「べらぼう」の中でも、江戸一番の繁華街・日本橋に居を移した蔦屋重三郎が、すしや鰻、天ぷらを食するシーンが出てくるかもしれませんね。

