すし・鰻・天ぷらは江戸庶民のファストフード 〜江戸時代グルメの誕生秘話と高級化の歴史:4ページ目
鰻の蒲焼きは濃口醤油と味醂から生まれた
「鰻」は『万葉集』にも登場する、古代から栄養価の高い食品として認知されていたようです。江戸時代には、精のつく食べ物として主に肉体労働者に好まれました。当初は、ブツ切りした鰻を串に刺して焼いたものを提供していたとされます。
鰻が蒲焼といわれるようになったのは、18世紀になり濃口醤油と味醂が生産されたことがきっかけです。鰻を醤油と味醂をあわせたタレで焼くようになったのは享保年間(1716~1736年)の頃からとされています。
江戸は、人工的な埋め立てで拡大した都市です。海沿いには多くの泥炭湿地があり、鰻が棲みやすい環境でした。そうしたことから、鰻は江戸の名産とされ、隅田川などで獲れた“江戸前鰻”は、その他の土地から運ばれた“旅鰻”に比べ、高い人気を誇ったとされます。
歌川広重の浮世絵(19世紀中頃)に、夫が割き女房が焼く鰻の屋台が描かれています。この50年後には立派な店構えの鰻屋「大和田」が現れますが、その始まりは鰻もすし同様に、庶民の食べ物であったのです。

