手洗いをしっかりしよう!Japaaan

すし・鰻・天ぷらは江戸庶民のファストフード 〜江戸時代グルメの誕生秘話と高級化の歴史

すし・鰻・天ぷらは江戸庶民のファストフード 〜江戸時代グルメの誕生秘話と高級化の歴史:3ページ目

@
2025/07/06

笹巻鮨から握り寿司へ進化を遂げた江戸のすし

「すし」を漢字で書くと、「鮓」「鮨」「寿司」など様々な字があてられます。これらは、それぞれ意味が異なることをご存じでしょうか。

すしの原点は「熟鮓(なれずし)」と呼ばれるもので、鮒や鮎などの魚に塩をして、米飯と一緒に漬け込んだ、漬物のような保存食でした。奈良時代の献納品にも登場する琵琶湖の鮒鮓(ふなずし)は、すしのルーツともいわれています。

この「鮓」が大きく変化を見せるのが江戸時代です。強い圧力を加えることで発酸発酵を早める工夫を凝らした「押し鮓」が登場します。

さらに、飯に酢を混ぜてすし飯とし、それに具をのせて1個ずつ熊笹の葉で巻き、軽く重石をかけた「笹巻鮨」が現れました。

現在でも神田小川町で商いを続ける「笹巻けぬき鮨」は、かつて数軒あったとされる「笹巻鮨」の店の中で、唯一現存する一軒です。その創業は驚くなかれ、1702(元禄15)年。300年以上にわたり暖簾を守り続けているのです。

この「笹巻鮓」をヒントに、すし飯の上に生魚の切り身をのせて握ったのが「握り寿司」です。

「笹巻鮓」の発展形であり、文政年間(1818~1830年)に、「與兵衛鮓」あるいは「松の鮨」が考案したとされています。

当時の鮨種には、コハダ・アワビ・シラウオ・玉子焼きなどがありました。現在では人気の高いマグロは当時は下魚とされ、特にトロの部分は捨てられていました。握りの大きさはおにぎりのように大きく、庶民が小腹を満たすために屋台で手軽に食べる、おやつ感覚の食べ物だったのです。

その後、高級な「すし」を提供する店舗が登場します。幕末には庶民の贅沢を禁じた、水野忠邦による天保の改革の一環として、200人以上のすし職人が贅沢に関与した罪で処罰されたという記録もあります。

4ページ目 鰻の蒲焼きは濃口醤油と味醂から生まれた

 

RELATED 関連する記事